短編小説 哲学者の弟子
紀元前350年頃、ギリシャにて。
私はアナクサルコス。哲学者メトロドーロスの弟子だ。高名な先生の弟子として学び、哲学者になることが私の目標だ。
今日も哲学を学ぶため、私は先生の元へ足を運んだ。
「メトロドーロス先生、アナクサルコスでございます! おはようございます!」
私は先生に挨拶をした。
「……?」
元気よく挨拶をした私に、先生はきょとんとした顔を向けた。先生はいつもそうだ。自分の学説に真摯に向き合い忠実であろうとしている。立派なお方だ。
私の師、メトロドーロス先生が唱える学説は「私は何も知らない『私が何も知らない』ということさえ知らない」だ。
「先生、今日もよろしくお願いします!」
「……?」
先生には隙がない。まったく、感服するよ。
メトロドーロス先生の元で修行を積んだおかげで、私も今や哲学者だ。
いつからか私にも弟子がつくようになっていた。中でもピュロンという弟子は見込みがありそうだ。ピュロンには何やらメトロドーロス先生を彷彿とさせる、何かオーラのようなものを感じる。ピュロンの唱える学説は「何ごともそれが正しいか正しくないかわからない」だ。
この前ピュロンと話をしてみたが、彼は「生きているほうがいいのか、死んだほうがいいのかわからない」「怪我をしたほうがいいのか、しないほうがいいのかわからない」と言っていた。
なんでも彼が一人で出歩くとよく危険に遭遇してしまうそうで、彼が出歩く際には友人が付き添ってあげているのだとか。
彼の学説とその生き方は、我が師に通ずるところがある。彼はもしかしたら大哲学者になる器かもしれないな。
今日はなにか良い考えが出てきそうな気がしていたが、何も出てこない。考えが煮詰まってしまったようだ。
私は気分転換のために外に散歩に出ることにした。
少し歩いたら目の前に池があった。そういえば、私はいつも無意識に池を避けて歩いていた。
我が師メトロドーロスであればこの状況をどうしていただろう。我が弟子ピュロンであれば。
私は池の存在を思い悩んだ。
私は池の方向に歩いている。果たしてこの池を避けたほうがいいのか、避けないほうがいいのか……。
私はどうしたらいいのかわからなくなって、そのまま進んで池に入水してしまった。
「うばぁぼぼぶべっ!」
私は泳げなかった。誰か助けてくれないだろうか。
「だべばばぶふざべぶばっ!」
池に溺れるその時、岸辺に弟子のピュロンの姿を見つけた。
「ピ、ぴぶゅぼぼぼん!」
ピュロンは溺れている私を見つけたようだ。こちらの方を見つめている。
「ピ、ぴびょんぶぶぶぅ!」
しかしピュロンは溺れる私を尻目に、通り過ぎていってしまった。
いけない、もう体力がなくなってきた。どうやら私はここまでのようだ……。
もはやこれまでと観念した時に、偶然にも他の弟子が溺れる私を見つけ、池から助けだしてくれた。
「ダメじゃないかピュロン! 先生が溺れているんだぞ! 助けないと!」
助けた弟子がピュロンを叱った。するとピュロンは「助けたほうがいいのか助けないほうがいいのかわからなかった」と答えた。
助けた方の弟子は唖然としている。
ピュロンはやはりただ者ではないようだ。私は感心した。
「いや、ピュロンのような者こそわが真の弟子だ」
私は言った。助けた弟子は更に唖然としている。
ピュロンは平然としていた。
哲学者ピュロンは都市国家エリスの市民であったが、市民たちは彼を非常に尊敬し、市会は、以後哲学者から税金を免除するよう決議した。彼は九十歳の長寿を保った。
※参考文献(長尾龍一『法哲学入門』)
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