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短編小説 盲目の恋


 僕は生まれつき目が見えない。
 弱視ではなく、全盲だ。先天性の網膜形成不全で、光や色のある世界を知らない。目の見える人とは別の、暗闇の中を生きている。けど、僕はそれが不自由とは思っていない。物心がつく前から見えてないので、僕にとってはこの世界が普通だった。
 自由を知らない奴隷が奴隷であることをなんとも思わないように、光を知らない僕が光のない世界を不便と思うことはなかった。

 その日僕は県立図書館にきていた。
目の見えない僕に普通の本は読めないけど、図書館には盲人用に拡大写本や点字図書が置いてある。こういった本の品揃えは悪いけど、点字図書を読むことは僕にとって娯楽のひとつだ。
 点字図書の書架に向かって歩いていくと、本を探す先客の気配を感じた。
 目が見えない人は、視覚情報以外の知覚を活用して世界を認識している。それは聴覚、嗅覚、触覚、味覚だ。近くにいる人が誰なのか。正確ではないけれど、僕には気配で少しは分かる。書架の前にいるこの人は、司書の人ではないようだ。しかし、なんとなく知っている人の気配がする。

「あのぅ、僕、高等部一年のハシモトです。ハシモトカンタロウ」
 おそらく盲学校の生徒だと踏んで、自分から名乗った。相手が生徒だという確信はなかったけど、勘がそう告げていた。盲人の勘は鋭く、高確率で的中する。
「あ、やっぱり? そうじゃないかと思ったよ。私、同じクラスのヨシザワだよ」
 ヨシザワさんか。ヨシザワリオ、僕と同じ盲学校に通う高等部一年生で、クラスメートの女子だ。彼女も僕のことをなんとなく察していたようだった。ヨシザワさんも僕と同じでそんなに社交的ではない方で、今まであまり言葉を交わしたことはなかった。彼女は全盲ではなく、確か少し視力があったはずだ。

「ヨシザワさんかぁ。よくここに来るの? ヨシザワさんは拡大写本かな?」
「ううん、私も点字だよ。私は少しは見えるけど、文字は大きくてもダメなんだ。ハシモトくんは? よくここに来るの?」
「うん、週に一度は来てる。読書は数少ない僕の趣味のひとつだからね」
 視力がないと、持てる趣味は限られてくる。音楽を聞くかラジオを聞くか、点字図書を読むか。落語を聞くのもけっこう楽しい。テレビの音も聞いているだけで楽しかったりする。いずれにしても受動的な趣味を持つ人が多い。創造性がある人は詩を作ったりする人もいるけれど、僕はもっぱら誰かの作品をインプットする側だ。

「私は最近読むようになったんだ。けっこう面白いね、本って。ハシモトくんはどんなの読むの? オススメある?」
「点字の品揃えにある本しか読んでないから、読書は好きだけどそんなに読めてないんだ。同じ本を何度も読んだりしてる。この図書館だったら、『星の王子さま』が一番好きかな」
「へぇ~。『星の王子さま』はまだ読んでないなぁ。じゃあ、それ借りてみるね」
 そう言うとヨシザワさんは、『星の王子さま』を書架から抜き出してカウンターに持って行った。
「借りてきた。ハシモトくん、良かったらちょっと私と話さない?」
 どきっとした。クラスでは僕もヨシザワさんも、男女分け隔てなくフラットに話すタイプだけど、あまり口数が多いほうではない。こういう風にあらたまって誘われるのは初めてだ。
「うん、別にいいけど……」

 僕たちは二人で図書館内の喫茶スペースに移動した。喫茶スペースでは僕がコーヒー、彼女がアイスミルクティーを頼み、二人席に向かいあって座った。
「なんか、デートみたいでちょっと緊張するね」
 彼女が言った。同感だった。僕たちは僕が全盲、彼女が重度の弱視だ。お互いに外見の醜美などわからず、そういう美を基準とした価値観とは無縁の世界に生きている。僕たちは健常者の視点から客観的に見て、どういう風に映っているのか気になった。彼女の声は澄んでいて綺麗で、そして優しい声だ。顔立ちも美しいなら、もしかしたら僕の容姿ではバランスが悪いかもしれない。もっとも僕自身、自分の外見なんてわからないし、僕たちにはルッキズムなんて無関係ではあるのだけれど。

「私はさ、こないだあれ読んだんだ、『ロミオとジュリエット』」
 彼女が言った。
「あ、それ僕も何回か読んだよ。面白いよね。可哀想な悲劇だけど、ああいう心揺さぶるストーリーを創作できるのはすごいなぁって、読むたびに思うよ」
「あ、読んでたんだ! さすがは読書家だね。私さ、あのセリフが気に入っちゃって……」
「"名前ってなに? 薔薇という花が名前を変えても、うつくしい香りはそのまま" ?」
 僕が言うと、ヨシザワさんは少し間を空けて言った。
「え!? どうしてわかったの? あの本で有名なセリフって "ロミオ、あなたはどうしてロミオなの" でしょ」
「あ、当たった? 有名なのはそれだけど、じっさい読んだ人で印象深いのってあれじゃないかと思ったんだ。"あなたはどうしてロミオなの" じゃあ、ちょっと安直かなって思ったし」
「わ、すごい。ハシモトくんなかなかキレ者だね? 面白いなぁ」

 褒められて僕は少し照れた。頬が少し熱くなった。もしかしたら赤くなっているのかもしれないけど、僕たちには堂々としていて構わない現象だ。
「『ロミオとジュリエット』ってさ、そういうハッとさせられるセリフがいくつかあったんだ。シェイクスピアが凄いのかなぁ。それで、本って面白いかもって最近思ってたとこなの。ハシモトくんはどんな本が好きなの?」
「僕はジャンルを問わず、いろいろ読むよ。けど、今の時代のやつより近代文学が好きかも。昔の本がさ、今の時代もなくならないで残ってるのって、評価されていて面白いからなんだよね、たぶん」
「ほうほう。それはそうかも。さすが読んでる人の言葉は深みがあるねぇ。勉強になります」
「『星の王子さま』にもいいセリフがあるよ。有名なセリフだけど、僕もその有名なセリフが一番好き」
「へぇ~、楽しみ。私にも気づけるかな? これ読み終わったら、私も気に入ったセリフをハシモトくんに教えるね。今度も同じになるかなぁ」
「どうかな……。好みは人それぞれだから。けど、有名なセリフだし、印象深いと思うよ。ヨシザワさんが気に入るかはわからないけど、たぶん当てられると思う」

 その後も少し話をして僕たちは別れた。女子と休日に一緒に過ごすなんて初めてで緊張したけど、楽しかった。ヨシザワさんは声が綺麗なだけではなく優しい人で、僕はなんだか嬉しかった。

 それ以来ヨシザワさんとの距離が近づいた。学校で会うと話しかけられるようになった。僕の方は全盲なので、話しかけてくるのはヨシザワさんからの方が多い。お互い席の位置は把握しているけど、気配と音と匂いが頼りの僕より、おぼろ気でも存在を目視できるヨシザワさんから話しかけられる方が確実だ。本当は僕も声をかけたりしたいのに、見えないのがもどかしかった。女子との交流がこんなに楽しいなんて少し前までわからないことだった。いや、女子と話すのが楽しいというよりヨシザワさんだから楽しいのだろう。そして僕の浮かれた日はしばらく続いた。

 翌々週の日曜に、ヨシザワさんと図書館で会うことになった。
「ハシモトくん? 待った?」
 学校は席の位置を把握しているけど、外で会うときはヨシザワさんも僕に声をかける時は疑問系になる。僕たち盲人は、人に声をかける時に少し勇気がいる。往々にして人違いで声をかけてしまうことがあるからだ。

「いや。今きたとこだよ」
「あのさ、『星の王子さま』。たぶんそうだって思ってたんだけど、できれば百パーセントで当てたくて保留にしてたんだけど、やっぱりコレしかないなって思って……」
 続けて彼女は言った。
「"本当に大切なものは、目に見えない" じゃない?」
「あたり。素直に読めばそれ以外にないと思うよ。ちょっと考えすぎちゃったみたいだね」
 僕は笑ってこたえた。
「やっぱりね。あのね、私も間違いないだろうなって思ったんだけど、確実に当てたくてさ、いろいろ考えちゃった。同じ言葉で感動できたら、やっぱり嬉しいし。てかこのセリフ、私たちだから響くのかな? 健常者っていうか、目の見える人でもそうなのかな」
「有名なセリフみたいだよ。けど、僕たちの立場からだと、なおさらいい言葉だよね。なんか、希望を持たせてもらえる感じでさ」
「うんうん、本当に大切なものが目に見えないなんて、私たちからすれば勇気だよね、勇気」
 どうやら僕たちは、本を通じて同じ気持ちを共有できたみたいだ。同じ感情を誰かと共有する。それがヨシザワさんだと、より嬉しいことだと思った。僕はすっかり彼女に好意を抱いていた。

 僕たちの距離はさらに近づいて、学校でも図書館でも話す時間が増えた。けど、休みの日に会うのは図書館以外にはない。僕たちは慣れた場所以外に移動するときには神経を使うので、行けないことはないけれど、自らすすんで不慣れな場所に行くことをあまり好まない。
 だから会うのはきまって図書館だ。
 それに、僕たちは友達で、別につき合っているわけでもなかった。僕はヨシザワさんのことが好きだけど、ヨシザワさんは僕のことを好きかどうかわからない。もしかしたらと思ったりはするけれど、僕たちの会話は本やラジオやテレビや、学校の授業や成績なんかの普通の話だけで、友達以上に踏み込んだ関係にはならかった。それに目の不自由な僕らがつき合うといっても、どういうつき合い方をしたらいいのかわからないし、目が見えないということで自信が持てない自分がいた。

 見えない僕にとって、彼女の存在は光だった。
 そして、僕たちの関係はそのままに過ぎ、僕らは高等部二年になった。

 四月の最初の日曜日に、事態は急転した。
今日もヨシザワさんと待ち合わせだ。県立図書館ではあるけれど、蔵書されている点字図書の数はけっして多いわけではなく、僕は読みたい本を取り寄せてもらっている。今日借りる予定の本は谷崎潤一郎の『春琴抄』だ。
 いつものようにカウンターで本を受け取り、館内の喫茶スペースで彼女を待っていた。
「ハシモトくん、お待たせ!」
 ヨシザワさんがきた。今日はいつもより声のトーンが高かった。
「ハシモトくんあのね、私、角膜移植が決まったよ!」

「えっ、決まったんだ?」
「うん、私に合うドナーが見つかったんだって」
 アイバンクは原則、重度の登録者が優先される。僕は全盲だったけど、サイズや年齢などの適当なドナーが都合よく見つかるかどうかはわからない。登録者に適当なドナーがいれば、当然順番は繰り上がって移植となる。
「そうか……良かったね! それで、手術はいつなの?」
「それが急な話でさ、明日から入院で、手術は三日後なんだ。手術後は予後が順調なら一週間くらいで退院できるって。再来週の日曜には私、見えるようになる予定。なんかドキドキだなぁ」
 彼女の視力が回復することは喜ばしいことだ。けど、まず僕の頭によぎったのは視力を手に入れた彼女が盲学校を去ってしまわないかということだった。

「良かったじゃん、楽しみだね。僕もヨシザワさんが見えるようになるのは嬉しいけど……」
「えっ」
 彼女は聞き返した。僕は伝え方に戸惑った。
「ヨシザワさん、学校からいなくなっちゃうのかな……」
「あ! 私もそれ心配だったんだけど、卒業するまで通っていいみたい。今さら普通の高校に転校っていうのも、他の高校に友達もいないわけだし、今まで目の見えてなかった子が転校してきても普通の子は接し方に困っちゃうかもだし、助かったよ」
 そうか。そういう配慮はしてくれるのか。僕はヨシザワさんと離ればなれにならなくて済むと思って少し安心した。

「それと、せっかくハシモトくんと仲良くなったのに他の学校に行きたくないし……」
「えっ?」
「ふふ、みんなのこと見えるようになるのが楽しみだなぁ。お母さんとお父さんの顔も、ハシモトくんの顔も、クラスの友達の顔も」
 顔……。
    僕はいったいどんな顔なのだろう。
「親は私のこと美人だって言ってくれてるけど、本当かどうかわからないし、そもそもどんな顔が綺麗とか基準がわからないんだよね、私たちには」
 ヨシザワさんは近いうちに目が見えるようになって、自分の外見も周りの人の外見も見えるようになる。当然、僕のことも。僕もヨシザワさんと同じように自分の外見について知らない。
 ヨシザワさんが視力を手に入れて外見の判断がつくようになることが急に怖くなった。僕はもしかしたら醜い外見なのではないだろうか。ヨシザワさんは僕を見て、嫌ったりしないだろうか。

 見えるようになることで、今まで見えなかったものが見えるようになる。それは喜ばしいことだ。けど見えるようになると、見えないときに思っていたことや、変え方が変わってしまうことがあるのではないだろうか。見える世界の価値観に自分を合わせるようになると、見えない世界で大事だったことが大事ではなくなってしまうかもしれない。
 僕はヨシザワさんが変わってしまうのではないかと不安になった。存在を知ってしまった後では、ヨシザワさんという光を失うことは、辛いことだ。

 翌週の日曜日。
 僕は『春琴抄』を返却して、森鴎外の『舞姫』を借りた。カウンターで手続きをしていると、司書の人に声をかけられた。司書はベテランの中年女性の人だ。
「今日は彼女はお休み?」
「あ、ヨシザワさんのことですか? ヨシザワさん、角膜のドナーが見つかって、手術したんです」
「あら、そう! それは良かったわねぇ。今日は君ひとりだったから、ケンカでもしたのかと思って心配しちゃったのよ。ふたりともいい雰囲気で、恋人同士って感じだもんだから」
「あ、いや、仲はいいですけど、別に付き合ってるってわけではないですよ」
 僕はどぎまぎしながら答えた。
「あらそうなの? 美男美女だし、とってもお似合いなんだけど、まだだったのねぇ」
 美男美女……。司書の人はお世辞を言ってくれているんだろうか。僕はいかにも十代の男の普通の声をしているけど、ヨシザワさんは綺麗な声色で口調にも可愛げがある。ヨシザワさんが美人な可能性は高いけど、僕は美男ではないだろうと思う。けど、もしお似合いに見られているなら嬉しいことだと、素直に思った。

 そして翌々週の日曜日。
 僕とヨシザワさんは図書館で待ち合わせをしていた。約束の時間になると、僕の方に向かって歩いてくる足音が聞こえた。歩き方の癖はヨシザワさんに近いけど、白杖の音は聞こえない。足音は僕の少し先で消え、足音の主は立ち止まったようだった。そしてまた、ゆっくりと僕に近づいてくる。僕のすぐそばまで来ると、また足音が止んだ。
「ハシモトくん?」
 少し不安げに声の主が話しかけてくる。二週間ぶりのヨシザワさんの声だった。
「うん、ヨシザワさん久しぶり。どう? 見える世界は」
「うん、なんか目に映るものすべてが新鮮。刺激が強くて疲れるねぇ」
「そっか、うらやましいなぁ。僕も早く見えるようになりたいよ」
「そうだね、私もハシモトくんと一緒に、いろんな景色が見たいな」
 彼女は、もう僕とは違う世界に生きている。僕はやっぱり、少し寂しい。
「そういやヨシザワさん、自分の顔はどうだった? やっぱり美人だった?」
「あ、それ聞いちゃう? まだ正直、美人とか不美人とかの基準がわからないんだけどさ、たぶん普通くらいなんじゃないかなって思ったよ。なんかテレビや雑誌に出てる、同年代の女子の平均値みたいな」
 彼女は少し笑いながら言った。テレビに出たりや雑誌に載るくらいの女の子って、普通の基準ではないだろう。見える世界のことはわからないけど、そういう人たちってきっと外見が秀でているからそういうメディアに出られているんじゃないだろうか。
「そうかぁ、じゃあきっとヨシザワさんは美人だね。タレントやモデルの平均ってことは、かわいいんだよ、ヨシザワさんは」
「いやいやいやいや、そんなんじゃないよ。そういう人たちはもっと洗練されてるから。とりあえず眉毛は自分なりに整えてみたりはしたけど、化粧とか覚えたり、これからもっと頑張らないとマズいかも……」
 やっぱり見える世界は外見に意識をとられてしまうものなのか。外見を意識し過ぎると、内面を充実させることがおろそかになってしまうと思うのは、きっと僕が見えないから持っている、見える人への僻みかもしれない。
「ハシモトくんもアイバンクに登録してるよね? 私が一足先に移植したけど、ちょうどいいドナーが見つかれば、ハシモトくんは優先順位高いよね?」
「そうだね、ドナーの適合はデリケートだしいつになるかわからないけど、僕もいつか見えるようになりたいな」
 そして、美人のヨシザワさんを見てみたい。
 僕がそう言ったあと、ヨシザワさんは黙ってしまった。
「ヨシザワさん、どうかした?」
 少し間をあけて、ヨシザワさんは言った。ヨシザワさんの言葉はほのかに熱を宿しているようだった。
「あのね、ハシモトくん。今こういうこと言うのは、ちょっとズルいかもって思うんだけど……」
「なにが?」
「私はハシモトくんのことが好きです」
 僕は少し理解に手間取った。
「ハシモトくんは見えてないから意味ないんだけど、今日は私、できるだけ見た目に気を使ってきたんだよ。少しでも自分に自信が持てるように」
 続けてヨシザワさんは言う。
「ハシモトくんね、たぶんかなりイケメン。これからハシモトくんが見えるようになって、かわいい子とか美人な子とかがわかるようになったらどうしようって思って、心配になっちゃった。そういう子を、見た目で好きになっちゃったらどうしようって。だからズルいけど、早く言わなきゃって……」
 驚いた。けど、事情はわかった。

 なんてことはない。ヨシザワさんも僕と同じ気持ちだったんだ。
 見えてない状態でお互いに好きになって、見えるようになることをお互い不安に思う。僕には意味がないのに、今日ヨシザワさんが見た目に気を使ってきたことも、僕の姿を確認する前にしたことだ。ヨシザワさんは僕の見た目がどうであれ、告白する気だったのか。僕はそれが嬉しかった。僕もヨシザワさんのことが見えてないのに、容姿なんて関係なく好きになっている。外見が無関係の恋。もしかすると僕たちは、他の人ができていない質の高い恋愛ができているのではないだろうか、と思った。
 僕は少し高揚した。そして、僕も意を決した。

「ヨシザワさん、僕は全盲で、ぜんぜんヨシザワさんのこと見えてないけど、僕もヨシザワさんのことが好きです」
 ヨシザワさんに気持ちを告げた。
「正直僕も、ヨシザワさんが見えるようになって、見た目のいい男の人を好きになるんじゃないかって不安だったんだ。ヨシザワさんと同じだったんだよ。僕は見える人の世界を知らなくて、手術をして見える世界を知ったヨシザワさんが変わってしまうのが怖かった。自分が閉ざされた世界に置き去りにされてしまうみたいで、すごく不安だったよ」

 彼女は黙って僕の話を聞いている。
「だから、ヨシザワさんに好きって言ってもらえてすごく安心したし、嬉しいです」
 ヨシザワさんは僕の話を聞いて泣いてしまったようだった。涙声で応える。
「ハシモトくん、じゃあ、私とお付き合いしてもらえますか?」
「うん、喜んで」
 彼女が尋ね、僕は答えた。
 僕たちはお互い自分に自信が持てず、お互い相手の変化に不安を抱いていた。けど、好きになったのはお互いに目が見えない状態だ。相手の姿がどうであれ、恋愛感情をもつ。ルッキズムの介在がまるでない恋だった。
 僕たちは普通の人が当たり前に持っている視力をもっていなかったけど、たぶん相手の美しさが、見える人より見えていた。

  彼女が僕の手を握ってきた。
『星の王子さま』に書かれている有名なあの一文は、真理だと思った。

 本当に大切なものは、目に見えない。



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