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ホラー短編 記憶の鍵

 実家を壊すことになった。
 両親は既に他界していて、今は誰も住んでいない家だ。
 家財道具は半年前から兄と二人で少しずつ処分を進めていた。今はもう何も残ってないが、高校まで過ごした実家なので思い出が詰まっている。古い家なので老朽化が深刻だった。放っておいたら行政代執行で、市がとり壊すことになってしまう。市が指定する業者に勝手に壊され請求書が送られるくらいなら、自分たちで業者を選定して出来るだけ安く済ませたいと思った私は兄と相談し、自分たちで安価な業者に依頼して壊してもらうことにした。今日は最終点検で、持ち出せるものは残っていないか確認に来ていた。
 私は一階の廊下の壁を見た。腰くらいの高さの不自然な位置に、A4サイズの額縁に絵が飾ってある。
あれは私が中学くらいの頃だったか。親と喧嘩をしたか言い合ったか今となっては覚えていないが、私が怒りに任せて壁を蹴って開けた穴だ。絵は壁の穴を隠すため、私が壁にかけたものだった。
 あの頃は荒れていたなと感傷に浸り、そっと壁から額縁を外した。
 穴はまだ開いていた。
 穴を見ると、何か思い出せそうで、しかし思い出してはいけないような気持ちになった。いったいなんだっただろうか。壁の穴に何かを放り込んだ気がする。いたずら心か、悪事を隠そうとしたか、当時は重要だった何かを入れた気がするが、思い出せない。

 どうせ来週には壊す家だ。もやもやした私は車でホームセンターに向かい、手頃なハンマーを購入した。自分で家を壊す気はないが、穴の秘密を暴くためにこの壁の穴を拡張して中を確認しようとした。壁の穴を広げるためのハンマーだ。
 ハンマーを購入し実家に戻り、穴を床の方に向かってガンガンと叩き、広げていった。
 なかなか床の方までは届かない。作業中、禁忌タブーに触れるような気分が続いていた。見てはいけない。確認してはいけない。忘れていることをいいことに、私は頭の奥で発している危険信号を無視して穴の拡張を強行した。
 二十分ほど作業を続けると穴はとうとう床に接するまで下部に広がり、壁の底を手で探れるまでに至った。私は穴に片腕を限界まで突っ込んで壁の内部をまさぐった。壁の底で金属の冷たい物質に手が触れる。棒状で先端が平べったいそれは、鍵だった。
 真鍮製か合金なのかは判断がつかないが、古いタイプの黒ずんだ鍵だ。見覚えがあるが、鍵を手にしても記憶はまだ戻ってこなかった。思い出してはいけないと、心の中の警鐘は鳴りっぱなしだ。

 はたしてこれは何の鍵だったか。
 壁に穴を開けたのは中学の頃なので、鍵を放り込んだのはその前後だろう。実家にいたのは高校までだ。私は中学生だった頃の、自分の行動範囲を思い返した。どこかでこの鍵を使ったタイミングがあったはずだ。
 昭和初期から中期までの間に製造されたものだろうか。知識がないので正確な鑑定はできないが、江戸時代ということはないだろう。もう少し近代的な雰囲気がある。私の中学までの人生の中で、古い金庫や錠や、あるいは建物などあっただろうか。この鍵はおそらく、それらの中の何かを開ける鍵に違いない。私は頭の中で、物心がついた時から少年期までの間の記憶を検索してみた。
「もしかすると……」
 ひとつだけ該当するものに思い当たった。蔵だ。実家から一キロほど離れたところに親戚の家がある。叔父の家で、叔父は独身で子どもがおらず、一人母方の実家で暮らしていた。近い場所だったので少年期まではよく一人で遊びに行っていた。

 思い出した。この鍵は蔵の鍵だ。
 たしかこの鍵は蔵の手前の石畳の下の、木箱に隠してあったはずだ。貴重なものなど何も無く、暗く湿っただけの空間だったが、小学生の私はたまに蔵に入って遊んでいた。
 蔵の鍵であることは思い出したが、何か引っ掛かりを感じていた。思い出してはいけないという、焦りのような感情がある。なんだろう。私は何をしたのだろうか。
 恐怖心があったけれど、思い出さないままではどうにもスッキリしない。叔父は数年前に他界し、敷地にはまだ家も蔵も残っているはずた。誰も手入れをしていないので敷地は荒れ放題の家だ。あの家も壊さなくてはいけないが、更地にしてしまうと固定資産税が多くかかるので、土地の運用が決まるまで放ったらかしにしていた。
 このまま鍵の記憶を思い出さないままでいるのも夢見が悪い。私は叔父の家の蔵に行き、鍵を開けてみることにした。
 叔父の家は近くなので十分少々で着いた。案の定敷地は荒れている。なんの草かわからないが、大人の腰くらいにまでの高さの雑草が繁っている。

 私は叔父の家を通り越し、隣に建つ蔵の前に立った。
 最後に来たのはいつだったか。いや、その前にこの蔵が最後に開けられたのはいつなのだろうか。
 鍵の所在は実家の壁の中だったし、叔父は蔵を開けられなかったのだろう。中に貴重な品が無いことは叔父も親も、親戚一同が把握している。別に開けられなくても困らなかったのかもしれない。誰も困らないから、二十年以上も開かれないままでいたのだろう。
 実家の壁に穴を空けたのは私で、鍵を放り込んだのもたぶん私だ。最後に蔵を開けたのもきっと私で、当時の私はこの蔵で何をしたのか。重大なことをしでかした気がする。
 記憶がもうすぐ戻ってきそうな気配があった。鍵をスボンのポケットから出して、扉の鍵穴に差し入れたその時、私の記憶が甦った。

 野球部の、後輩だ。
 部活の練習が終わってから本屋に立ち寄ったら、部活をサボって遊んでいた後輩に遭遇した。大会が近いのに練習に出なかった後輩に激昂したのだ。必死で謝る後輩を私は許さず、この蔵に連れてきて、反省させようと閉じ込めた。その時はたしか数時間閉じ込めてから出してやるつもりだった。
 けれど私は自宅に帰ったあと、晩御飯を食べて風呂に入り、すぐに寝てしまった。翌朝は後輩を忘れたまま登校すると、後輩が失踪したと騒ぎになっていた。私は学校から帰ったらすぐに鍵を開けようと思っていたが、丸一日も人を監禁したという事の重大さに恐怖を感じ、鍵を開けるか開けないままにするか葛藤した。鍵を開ければ無事に助け出せるが、監禁した私は責めを負うだろう。そもそも悪いことをしたのは後輩なのだ。原因は後輩にあるのに、なぜ私が罰を受けることになるのだと思った。失踪、監禁事件の責任を負うのに、少年の心には心的負荷が大き過ぎた。私は自分のしでかした過ちが手に負えず悩んだ。そして状況に耐えられなかったか、私の精神は事件を忘却するという方法で心のバランスを取り戻したのだった。

 その後、後輩が見つかったというニュースは聞かなかった。いま私は、後輩が閉じ込められたままになっているであろう蔵の前に立っている。

 取り返しのつかないことをしてしまった。
 なぜ今まで思い出せずにいたのだろう。きっと、罪の意識に耐えられなかった精神が記憶を封印してしまったのだ。大人になり成熟した今なら、罪を受け入れることができる。私には罪を精算する義務がある。事態をどう説明すればいいのか分からないが、警察にも通報しよう。誘拐、監禁、死体遺棄などの罪になるのだろうか。二十年は経ってしまっているが、どんな罰だって甘んじて受け入れるつもりだ。

 とにかく中の様子を確認しなくては……。私は覚悟を決めて鍵を回した。鍵穴は錆ついていて硬かったが、しばらくガチャガチャ動かしているとガチャンと落ちる音が鳴った。どうやら鍵が開いたようだ。私は重い扉を引っ張った。ずっと閉ざされていた扉は重かったが、大人の力でならなんとか開けられそうだ。観音開きの扉の左側を全力で引っ張ると、扉はゴゴゴという音とともにゆっくりと開いた。
 蔵の中に光が差し込んだ。黴の匂いがした。中では埃が舞っている。入り口から中の様子を窺ったが入り口の周辺には何もない。私は意を決して中に足を踏みいれた。ところが数歩歩いたところで、スーッと明るさが消え暗闇が広がった。まずい。扉が閉まり始めた。すぐに体を反転させて入口に戻ったが、扉の重量は重く押し返せずに完全に閉まってしまった。外には誰も居なかったので、誰かに閉められたということはない。もしかすると蔵が全体的に奥側に傾いていたのかもしれない。おそらく重い扉が自重で自然と閉まったのだ。この完全な暗闇の中では何も見えない。私はとりあえず扉を開けて明かりをとろうと、体勢を整えて全力で扉を押してみたが、全く動かなかった。外から開けることは出来たのに、内側からは開かないとはどういうことだろう。蔵の中は空気の流れを感じないので、冷蔵庫と同じ原理で密閉されていて、中からだと開けられない構造になっているのかもしれない。古い蔵だったが、蔵というものは気密性が高いと聞いた気がする。せっかく記憶が蘇って過去の精算をしようというのに、このままでは私まで失踪者になってしまう。

 物理には疎かったが、もしかすると扉は非常に重いが、もっと強い力で押せばなんとかなるかもしれない。強い力で押すには自分の体重だけでは足りない。何か重いもの……例えば丸太のようなもので衝撃を加えてみれば、扉は押し返せるかもしれない。そう考えた私は、蔵の中で何か道具になるものを探そうと、暗闇の奥へ進んでみることにした。
 全くの密閉された状態なら、開けられないままでいると酸素不足になる心配もあった。もしかすると後輩は餓死ではなく、窒息死だった可能性もある。暗闇の中で後輩の死を想像した。事件は約二十年前だ。土の上で死んでしまったわけではないから、大地に還ってはいない。虫や菌に分解されて白骨化しているか、あるいはミイラのような姿になってしまっているか……。額に汗が滲んだ。
 地面はなくとも、生身の肉体には色々な菌が保有されているはずだ。死体は分解されている気がするが、密閉されて酸素がない空間でも、菌は活動するのだろうか。蔵の中に日光は届いていない。ネズミのような生き物の気配もなかった。完全な暗闇の酸素の無い環境下で、後輩の死体はどう保存されているのか。白骨化にせよミイラ化にせよ、自分のせいで後輩は痛ましい遺体になってしまった。一刻も早く後輩の姿を確認して、弔ってあげたいと思った。なんとかして扉を開けないと。
 しかしこの暗闇では前後左右も不覚をとってしまう。元の位置がわからなくならないように、私は歩数を数えながら奥に進むことにした。

 一、二、三歩。
    四、五、六歩。
 大きい蔵だったが、一階の最奥まで多くても四十歩ほどなら辿り着けるだろうか。
 彼は、いったいどの辺りで死に絶えたのか気になった。真っ暗闇なので、周囲の様子は何も窺い知れない。
 七、八……。
 九歩目を歩いたとき、私の足はビーズクッションのような感触の何かを踏んだ。それを踏んだ時、ぐじゅ、と液体を含んだような音がした。

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