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短編小説 神の告白

 とりあえずここにしてみよう。
 男はひとつの教会を適当に選んだ。その教会は政令指定都市だが、市街地からは離れた郊外にある、住宅地の中の教会だった。
 男は扉を開けて教会に足を踏み入れた。
「こんにちはー。お邪魔しまーす」
 日曜日のミサが終わった頃合いだった。時間は午前11時40分。中では神父がひとり掃除をしている。
「はい。どなたでしょうか?」
「山田といいます。罪の告白をしにきました」

 男は山田と名乗った。急な来訪に神父はとまどったが、とりあえず話を聞くことにした。
「告解ですね。キリスト教はカトリックでは告白といいますが、プロテスタントでは告解というんですよ。この教会はプロテスタントなので告解といっています」
「プロテスタントでしたか、じゃあ告解をひとつお願いします。牧師さん」
 山田はノリが軽く、罪の重荷を背負っているようには見えなかった。ひやかしで着ているのかもしれない。しかし、先入観で人を見てはいない。本当に困っていて罪を話して楽になりたい可能性もある。牧師はとりあえず対話をしてみようと思った。
「わかりました。本当は予約が必要なのですが、今日はイベントもないしいいですよ。山田さん、ではあちらの告解室へどうぞ」

 私は山田と名乗る男を告解室に促した。
「お邪魔します。いやぁ、楽しみだなぁ」
 楽しみ? 山田は罪の告白をするのが楽しみなのか。自分の犯した罪を話すことは、心にかかる負荷は大きい行為だ。面白半分で告白しようというのだろうか。この男は罪の告白という行為に興味があるだけで、これから告白する罪に、罪の意識は薄いのかもしれない。告白の本質は、神の赦しと神との和解だ。罪の重荷を降ろして心の癒しの一助とするのが本懐なのに、この男の場合は意味のない告白になるかもしれない。

 告解室は中央で仕切られており、向かって左の小部屋に告白者が座り、右の部屋に牧師が座る構造だ。仕切りの顔の位置あたりに格子がはめられていて、そこから告白者の罪を聞く、あるいは対話をするシステムだ。
「では山田さん、話してください」
 私は告白を促した。

「おお、いよいよですね。それでは早速……」男は少し溜めてから言った。
「実は、私は神なのです」
 は?
「いやぁ、罪の告白も何も、本当は罪なんか何も犯してないんですよね。全知全能のこの私に、罪なんてあるはずがない。暇つぶしにやってみたかっただけなんですよ」
 この男は急に何を言い出すんだろう。冷やかしなのか。牧師になってこの教会に身をおいて以来、初めてのことだ。実のところこの告解室はあまり利用されてない。しかし利用する人はみな、やぶさかではない罪の意識を抱えている。この男の暇つぶしの主張が本心なら宗教への冒涜といえるだろう。

「山田さん、この告解室は信者だけが使えるというものではなく、悩める者は誰でも利用することができます。罪の意識に悩み、迷える者のための部屋です。ここを使う人はみな、真面目に罪と向き合い、神の赦しを求めているのです。あなたはキリスト教の信者ではないのでしょうが、神を騙ることはそれだけで罪なことだとは考えられませんか?」
「別に騙ってなんかいませんよ。牧師さんは信じていないようですが、私は神です」

 この男は言い切った。精神病患者なのだろうか?だとすると無下にあしらってはまずいかもしれない。
「あ、別に精神病とかではないですよ」
 何? 態度に出てしまったか。病気を疑っていることが悟られてしまった。
「あ、悟ったとかそういうことでもありません。全知全能なので、知ろうとすればあらゆることが知り得ます。つまらないからあえて普段は知ろうとしていませんが、牧師さんが私を疑っていたのでちょっと知ってみただけです」
「山田さんは、心理学なんかにお詳しいのでしょうか? そういう推理もなかなか面白いものですね。」
「牧師さんが信じないのも無理はありません。私は暇つぶしでここに来ました。とりあえず信じてもらうのに奇跡を起こすのがてっとり早いですね。とりあえずどうぞ」
 山田がそう言った刹那、告解室の私の椅子前に細長いテーブルが現れた。テーブルにはワインとワイングラスが載っている。

「あ、いけない。忘れてた」
 ワインを開栓するソムリエナイフも現れた。いずれも何もない空間から唐突に現れたように見えた。
「えっ、いったいどうやって…」
「世界は私がデザインして創りました。どんなことでも可能です」
 山田はなんの抑揚もなく平然と言い放った。
「どんなトリックでしょう? これはすごい特技だ」
「何か出して欲しいものや消して欲しいもの、室温や気候を変えてもいいですよ。あなたの脳や感情に直接干渉して信じさせてもいいですが、それでは暇つぶしになりませんし」

 そんなバカな。本当に神だというのか。私は山田のペテンを暴こうと、無理難題を考えた。
「それでは小さくて構いませんので、このテーブルに雪だるまを出してみてください」
「どうぞ」
 テーブルに小型の雪だるまが現れた。雪だるまの目や口には小型の炭が嵌め込まれている。いったいどうやって私が雪だるまを希望すると予知したのだろう。
「過去や未来を変えることもできますよ。私には時間という概念もない。出来ないことはなにもありません」
 山田は自信たっぷりに言った。おそらく精神病だろうが、ワインや雪だるまのトリックが私には解らなかった。

「トリックもなにもありませんよ。牧師さんは疑い深いですねぇ。楽しいです」
 読心術か! 表情に出てしまっていたようだ。精神病のはずなので、まずは話を合わせてやらなければいけないのに、しくじってしまったようだ。
「読心術でも精神病でもないですって。どうぞ、心の中で思うだけじゃなくて、本音で喋ってください。わたしは楽しみたいのです」
 山田は口元が弛んでいる。本当にこの状況を楽しんでいるようだ。
「では、山田さんは懺悔することなど何もなく、ただ現世に生きる一人の人間と話して暇つぶしをすることが目的だと?」
「ええ、そういうことです。誰でもいいというわけではなく、キリスト教徒あたりがいいかなぁという気分だったので、話し相手の職業はそんな感じで適当に選びましたが」
「山田さんが全知全能ならば、私のような一個の人間から得られる知見などないように思いますが……」
「それはそうです。知ろうと思えばあなたという人間の全ての記憶と思考を読むこともできます。私は暇つぶしがしたいので、あえてそうしないだけですよ。あえて知らないことも、私には可能ですから」

 本当に神なのだろうか。私は神に試されているのか?
「そういう疑問も、ただあなたの内面で思考するだけではなく、どんどん口に出してください。私は別にあなたを試す気なんてありません。私が人間を創ったのですから、試さずとも全ての把握は可能です。そろそろ信じましたか?」
「正直、まだ半信半疑です」
「何か神に聞きたいことはありますか? なんでも答えられますが」
「では、なぜ悪がこの世にあるのでしょうか? 全知全能ならば完全に平和な世界だって創れたはずですよね?」
「別に善や悪の概念は創ってませんよ。その概念は人間が社会を回すのに利用しているものです。平和状態も戦争状態も、願うのは人間だけです。私は面白ければそれでいいですから、善にも悪にも関心はありません」

 なんてことだ。山田が本当に神だとすると、私が今まで信じてきた神はなんだったのだろう。神は自分に似せた存在として人を創り、人は寵愛を授けていたはずだ。神がこんなにもドライなはずはない。聖書とはいったいなんなのだ。
「あ、別に人は私に似せて造ってなんかいませんよ。今の私はあなたとコミュニケーションをとるために人の外見になっているだけで、姿形なんかどうにでもなります。ほら」
 そういうと山田は小学生くらいの男の子に変化した。ワインの出現と同様に、発言のすぐ後に見た目が切り替わったような感じだった。
「ね、どうにでもなります。ちなみに私は地球だけを創造したわけではなくて、宇宙も創りました。人の思想で言うところパンプシズムに近いですね。宇宙にはまだいろんな生物がいて、生態や思考を観察して暇を潰しています。全てのことを知っているのもつまらないので、意図的にある程度は情報を遮断してますけどね」
 山田は言った。

「あなたはどうしても、私が今まで信じてきた神とは違います。私にはあなたが神とは思えません」
「信じたいものを信じるのが人間ですから、それは仕方ありません。人間は自分たちに都合がいいように想像したり解釈してしまいますからね。けど残念ながら私が神で、これが真実です」
 私の動揺を見て、神は楽しんでいるようだった。
「人が想像する神の概念は、人に都合がいいように出来ています。それはキリスト教に限りません。人は恐れが強いので、神のイメージを都合よく構成して恐れを克服したいのです。人は不安や恐れを原動力にいろんなことを考えたり生み出したりしているのです。可愛いものですよね」
「あなたは人を見て楽しんでいるのですか? 人は神にとって玩具に過ぎないと?」
「別に私の玩具は人に限りません。人間を特別視してしまうのもまた、人間の特徴ですよね。こういうところも可愛いんですよねぇ」

 ダメだ。この男とこれ以上関わっては、私は神を疑ってしまう。これ以上は耐えられそうもない。
「やだな、そんなつれないこと思わないでくださいよ。私が楽しんでいるんだから、それで十分なんですよ。それに疑うも何も、自分たちに都合がいいように恣意的に誤解していたのは人間なんですから、理想と違ったからって他に替えられませんよ私は。唯一なんですから」
「すみません、あなたは私の理解を超えています。反証することが出来ませんが、私にはあなたの言動を受け入れられない。神にしても人にしても、あなたを理解することが私にはできそうにありません……」
「あらら牧師さん、案外あなたは弱い精神だったのですね。これはこれは人選ミスでした。私と対話できるなんて、こんな幸運は普通に生きてたらないことなのに、残念ですねぇ」
 私は何も答えられなかった。

「残念ですが、この辺にしておきます。神を信じることも信じないこともできなくなるなんて、まぁまぁ面白い流れでした。短い時間でしたが、少しは楽しめましたよ。良かったら光栄に思ってくださいね」
 私は何も答えられなかった。
「お礼とお詫びに何かして差し上げます。何かご希望はありますか?」
「本当にもう私は解らないのです。どうか、私を普通に戻してください」
「それはもったいない。これは牧師さんにとって貴重な経験ですよ。せっかく本当の神の概念に触れ、真理に近づけたというのに。私との出会いをなかったことにも出来ますが、蒙昧のまま残りの人生を生きることになるのですよ?」
「私は私の想像する神を信じることで、十分満たされていました。真実の神ではなく、私の中では私の中の神が神だったんです。それはただ自分にとって都合がいいだけの存在でした。結局私はただのエゴイストなんです。信じる神がただの誤解であっても構いません。平穏な人生を過ごしたいのです」
「あなたは真実の神、つまり私を否定して、誤解の神の教えをこれからも世に広めるということは、人類に少なからず誤解を広げ続けるということになります。ここで真実に耐えて真実を認識することで、人類は真実に触れることになるのですが」
「私には真実の神を世に広める気概はありません。誤解の上で平和が築かれているのが現状の世界なのです。私は真実を受け入れる器ではないのです。どうか愚かな私をお赦しください」
「承知しました。そうですねぇ。一人に伝えても大抵の人間ではそうなりますよね。まぁだいたいこんなものかな。
わかりました! では残りの人生をあなたなりに楽しんでくださいね」


 あれ?
 ここは告解室か。誰もいないのに、私は一人で何をしているんだろう。時計を見ると、針は11時40分を指している。そういえば掃除の途中だったな。さっさと片付けてしまおう。






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