「君の軸足の置きどころはどこかね?」②
「大人の事情で子ども達の頑張りが奪われていいのかい?」
「学校は誰のためにあるんだい?」
最初は何を問われているのか、正直わかりませんでした。
「軸足?」
誰のための、何のための、教育なのか。
この岩角先生の問いかけを思い出す度に、自分の背中がピンと伸ばされるよう思いが未だに湧きます。
掲示板事件については、次の日の職員会議で、駆け出しダメダメ教員の私が「掲示板を外すことに反対です。」と手と声を振るわせながら訴えるも、結果的には掲示板を外されることになりました。悔しかったです。その日、岩角先生と泣きながら夜遅くまで飲ませていただいたのは、いい思い出です。
現場ではよく、子どもに「〇〇させる。」「〇〇をやらせればいい。」という言葉が使われます。これは、「子どもをどう捉えているか」とてもよく表れているなと思います。
子ども達は、いつから先生の道具になったのでしょう?
子どもを思い通りに動かせることに、喜びを得ていませんか?
と、思ってしまいます。
先生にとって都合のいい子ども達を育てる教育現場であってはならないと思います。しかし、そんな思いでクラスの子ども達と向き合っていると、
「カタピー先生のクラスの子ども達は授業がやりづらい。」
「カタピー先生は子どもに傾倒しすぎだ。」
と言われてしまいます。
それでも、私の軸足の置きどころは変わりません。
「本当に子どもを大切にする教育」を、私はこれからも目指していきたいです。
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