彫刻カンショウ


美術館にいきしなのメッセージに寄せられた岩の写真、美しさに感服する。なんていったっけ、材木岩というそうだ。かっこいいな、もう自然のものだけでいいんじゃないかな。これからそれよりもちいさい彫刻を観に行くというのに。それでも人が作る美しいものが求められるのはみんな人の心を感じたいからだろうか。
各駅停車は王子にも止まる。君しにたまふことなかれよ。小雨はじっとりとして汗を引き出す。

公園の中の灰色の建物は曇天と似た色。わたしよりよほど洒落た女と同じ歩幅で中に入る。

初期は人間も彫っていたのか。痩せた男の彫刻は肋骨の溝と肩までしか掘られてない透明な腕。美術解剖学とポンペイ。あの人のような身体の木が横たわっている。説明文を読むとモデルは死体だった。妙に納得して、嫌だとふりきる。
代表的な作品、チェーンソーであらく刻み込まれたかつての木である木材は、うねり、天井で塞がれた空を目指している。わたしに刻まれた同じ方向の傷跡は醜いが、この木たちのように削られたままではない。数えるとこれらはゴロクサンジュウの30本の等間隔の森。はじめてみたのではない。以前会ったのは、まだ勘違いしていた頃だった。眩しく青いあの頃はまだ憧れだけでみていた。辛い。
静かな空間のこれらも、バリバリと騒音をたてる機械に押し付けられて出来たのかと思うとシャッター音ひとつにも気を遣っている私たちは滑稽だ。
名もなき戸谷成雄のアシスタントにも敬服し、常設展をみる。

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