命とか感情について

こんにちは。

「生まれてきてよかった」
「産んでくれてありがとう」

とか人生で一度も思ったことないジャンキーガイジです。
思えたことある人って幸福だなと思います。
また思いたい人は米国に行ってMDMAの投薬を受けましょう。

病院に向かう交通機関の中退屈なので
自分の思考の整理を兼ねて表題の件について書いてみようと思います。


前段: おもいで

この人生は呪詛まみれであり、
PL法に基づき製造者は製造責任を全うすべし
という主張を曲げたことがありません。

他人同士の一瞬の快楽のためにこの苦しみがあり、
そしてその苦しみにも特に意味がないという苦しみは
その発火時点にまでしか法の不遡及が及ばず、
残念ながら慰謝料を請求する以外に方法がありません。

中段: 薬あるいは世界旅行の経験を経て

結局感情というのは脳の状態に過ぎません。
その命がその体を以って感じる何らかの良さがあり、
それが体験の中で再現されるに過ぎません。

日本を隅々まで巡って1.2億人の端っこを感じていましたが
世界を大まかに巡って82億人の端っこを感じて思うのは、
名前や肉体に大した意味がないということです。
それらは識別記号です。

そしてそれに固執しているのが意識です。

また近代、あるいは社会という現象では
価値と命が等号で結ばれやすいですが、
それらは別々のものなので、価値について先に処理をすると、
価値とはその意識の作り出した虚構です。

AIは電力のみで休むことなく価値を生み出します。
この意味での価値は、やがて別の虚構に変わることでしょう。

人間という衣食住が必要な大変手間のかかる動物集団にとって、
ちょうどいい塩梅の、その意識たちを統一し継続するための
手間のかかる何かに。

下段: 命の意義

識別記号が持つ再現可能な感情に特に意味はありません。
命とは、もう誰もryuchellのことなんか覚えてないくらいの程度のものです。
多分ローランドより忘れられてると思います。

具象に本質はありませんが、例え話からまずは書いてゆくと、
命とは生物です。
生物とはいずれ死ぬものです。
生物は結局脳です。
脳の仕組みは数学になります。

生態系と宇宙の鉱物に根源的な違いはありません。
ただの確率の分岐であり、21gは恐らく肺胞にあった空気量であり、
魂は虚構に過ぎません。

その偶然性に端を発する意識と感情と命について、
命は脳による主体の意志によってのみ駆動されるものであり
そしてそうあるべきだと考えます。

セロトニンの80%は腸管細胞で作られるらしいので、
数学ができない現代的に言えば賢くない人とされる場合
お金とかの数字に執われることをやめて
まずは腸を喜ばせることに心血注いだほうがいいんじゃないでしょうか。

私のように、幼少期の頃から
食事することは下劣な生への執着だと感じてやまず
食事を忘れる何かしらの喜びに没頭したいと考える人間の場合
そしてその喜びというものが誰もが持っているらしいが
自分にはどこにも生じ得ないと感じている人間の場合
この手も効かないと思いますが。

それでもせめて人間らしく、と願う場合、
人生で一度はMDMAの投薬を受けるべきでしょう。
合法的医療が行われている国と
あなたが日本人であるという特性同士はコリジョンしません。

全員が言っている謎の感情について、これまで培ってきた想像が
エフェクトの最中だけ、実感と紐づいて、
こういうことを喜びと呼ぶのでは、と思えると思います。

ようやく病院に辿り着きそうなので、この辺で筆を置きます。

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