たとえ少なくとも
このnoteという場所は素晴らしい。
どんな場所よりもそよ風が吹く芝生が多くて和むのだ。
それに140など数字の制限があまりないのも魅力的だ。
目星を振れば
気になる素晴らしい人も見つけられるし、
文字を太くしたり
ルビが振れるのもよい。
文庫本みたいな憧れのルビ漢字を作れる
というのは本を読む自分にとってみれば結構好きなポイント
某ドラゴンに発表させたいくらいである。
ルビは他でも振れたりできるが、
このスタイリッシュさはピカイチな気がする。
使い方を説明してくださる公式もあるのでかなり覚えやすくていいのも良い。
だが、自分は飽き性だ。
離れてしまうとなかなか重い腰が上がらず帰ってこない。
音楽コンテンツが多めに常時好きなのは耳という場所を掴んで離さないためであり、
手、もしくは打ち込みといったものほど腰が上がらない存在が自分なのである。
ヒプマイも、特撮も、好きな物には何かと音があった。
書くのは音がない、カリカリとカチカチという手ががんばっている音のみで、どうも離れがちだったりするのだ。
でもこの場所だけは離れたくない。
このnoteにはそんなチカラがあるような気がする。
フォローされている数だけじゃない。
自分の想像を物語を存分に描ける青空のようなキャンバスに思えたのだ。
圧迫感もなく、創作できる場所な気がする。
だからこそ、飽き性を出さないために
つぶやきでもnoteでも写真でもいい。
このキャンバスを見失わないようにマークを毎日ひとつはつけてゆく。
そう決めたのだ。
その思いを胸に今日もnoteに筆を入れた。
ヒプマイに狂うほど沼ったオタク サポートしてくれたら かなりヒプノシスマイクブログはかどります!