ブス子が受けたスパルタ教育

ブスはブスでも、ひとそれぞれ。

幼い頃からブスであることを突きつけられて育った子供。ブスであることを認識する必要性を感じないまま大人になり、いきなりブスである現実を突きつけられて戸惑うブス。

幼い頃からブスなんだからと育てられる子供の多
くは、独立心を強制的に育てられる。将来結婚できない可能性が高いとみなされるからだ。

私の母の場合は、ブスでも美人でも結婚はするものだという認識であったようだ。だが、ブスならばより良い奥さんになるべく特別な教育が必要だと厳しく育てられた。

結婚するしないに関係ない強い独立心。そして、顔以外はどこに出しても恥ずかしくない家事能力。それらを叩き込まれた。

保育園児の頃、持ち物にはすべて記名が必須であったが、私の母はマジックで書かなかった。漂白したら文字が消えるからという理由で、赤い手縫い糸で名前を刺繍していた。

私が小学校にあがるとき、母は全ての記名を自分でやんなさいと言ってきた。マジックで書くのは許されない。全て針と糸で刺繍させられた。それも、やり方なんて教えてくれない。私は針と糸を持たされて崖から突き落とされたのである。

なんとか母がやっていたのを見よう見まねでやってみて、間違ったらほどいてやり直しである。それを全てのハンカチと給食ナプキンにさせられる。いきなりなのに、猶予はなし。夕方言われて今日寝るまでにやれと。全て自分でやり終えるまで決して許さない。幼子にも容赦無いのが我が母である。

私は泣かなかった。泣くのは許されない。それは更に幼い頃から叩き込まれていたことだ。怒られて泣いたら、泣いたことを更に怒られる、というか、母は火が着いたかのように逆上する。それが我が家の掟であった。

その時はなんとか刺繍を終えた。


小学校1年生か2年生の時であった。
母は、「買い物に行って来るから皮むきしてなさい」と私に6個ばかりのじゃがいもを渡してスーパーに買い物に行った。帰ってきて、ほとんど終わっていないのに母は激怒した。叱るのではない。ただただ怒りの感情を私に対して爆発させたのであった。それはそれは恐ろしく。ひたすら母の感情が納まるのを待つばかりであった。

その後、私が中学生高校生になっても、母が夕飯支度している時には勉強することは許されず、さりとて成績が落ちるのも許さないという、頭が悪いとしか言いようのないダブルバインドで怒ってきた。

私は体の良いサンドバッグであったが、それ以上に激しいスパルタ教育を受けていた。


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