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拗らせた初恋〜秒速5センチメートルの再上映を観て〜

 2007年に公開された新海誠監督の秒速5センチメートルという映画が再上映されているということなので観に行きました。この映画は僕の1番好きな映画といっても過言じゃないほど好きで、何かあるたびに折に触れて観る映画です。僕は狭くて暗いところが苦手なのであまり映画は観ないようにしているのですが、好きなだけあってかこの映画は落ち着いて観ることができました。
 この映画のレビューを見てみると、「距離と時間」に関するコメントが多くて、また、この映画の題名も「秒速5センチメートル」であることからも、この映画において「距離と時間」が重要なテーマであることがよくわかります。ですが僕はあまりこの映画を「距離と時間」の観点からは鑑賞してはいなくて、どちらかというともっと物語のストーリー自体に惹かれているような気がします。
 僕がこの物語で1番好きなポイントは貴樹が一生初恋の相手である明里を忘れられないところです。というのも、僕自身が小学生、中学生のときに似たような甘酸っぱい恋愛を経験しているので、なんとも貴樹に感情移入してしまうんですよね笑。貴樹と明里のような小学生同士の純粋で無垢な、恋愛であるはずなのにまるで性欲からは切り離されたような恋愛をしたことがある人は多くいると思います。だけど、多くの人は中学生、高校生、大学生、社会人となるにつれて、その属性に応じた恋愛をするようになっていきます。公園でしかデートをしない大人はあまりいないでしょうし、逆に高級フレンチでデートをする中学生カップルもあまりいないでしょう。ですが貴樹は違いました。鹿児島に引っ越してからも社会人になってからも未だに「あの時」の明里を求め続けています。もし貴樹が高校生のときに、明里のことはまだ忘れらないけど前を向こうと思って、花苗と付き合っていたならば、もっと明るい人生だったかもしれません。大人になっても初恋の相手を求め続ける姿は、私を含めて多くの人は気持ち悪いと感じるでしょう。ではなぜ、貴樹はこんなに「気持ち悪く」なってしまったのでしょうか。私はいくつかその理由を考えてみました。
 私が1番大きな要因であると思うのは、中1の冬のあまりにも耽美的で情緒的なキスです。まだ大人というには幼すぎる齢13歳の少年が、大雪の中、東京から栃木まで1人で電車で行く。そして明里はもう待っているかも分からない。これ自体があまりにも厳しすぎる試練です。そしてその試練を乗り越えた先に明里が待っていて、約1年ぶりの再会を果たし、一面が雪に覆われた幻想的な世界でキスを交わす。僕はここまでの経験をしたことがないので分かりませんが、この時貴樹は明里こそが自分の運命の人で、明里がいないと自分の人生は成り立たないのだと思ったことでしょう。そして、またその願いは叶うことはないと思えば思うほどその気持ちは強まっていくのだと思います。僕はこのような体験をした貴樹に、すぐに新しい恋愛を始めろなんてことを言うことはできません。というか、それはほとんど不可能に近いことであると思います。
 もう一つの理由はこの物語のテーマである「距離と時間」です。映画を鑑賞している時はこのテーマはあまり気にしませんでしたが、深く考えてみるとやっぱり大事なテーマであることがわかります。先述した通り、人は自分の年齢に応じて恋愛の仕方を変えていく。でもそれを貴樹は出来なかった。それはやはり2人が離れ離れになってしまったからだと思います。多くの人は同じ相手でも付き合い方は日々変わっていく。同じ彼氏、彼女と何年も上手く行く人がいますが、それは上手く関係性を変化させ続けているからだと思います。でも2人はもう会うことができないので互いの情報がアップデートされず、いつまでも2人の頭の中に残るのはあの楽しかった頃の互いの姿。その人について知っていることは、高校生の時の文化祭の思い出でも、大学生の時の合コンの思い出でもなく、いつまでも小学生のころの思い出のみ。これじゃあ2人の距離が全く縮まらないことに納得が行きます。貴樹と明里はまるで神が定めた運命であるかのように別々の「場所」に追いやられ、無慈悲にも流れ行く「時間」によって互いの姿は固定化されてしまったのです。
 他に考えられる要因は、ただ単に貴樹の性格に由来するものという説明もあります。貴樹と明里は同じ経験をしているのに、明里はそれを乗り越えてまた新しい恋愛を始めているのに対し、貴樹は一生燻っているのは2人の性格の違いかもしれないですね。あまり主語の大きな話はしたくないのですが、僕のイメージだと女性の方が恋愛においてはさっぱりとしていて、男性はずっと過去の恋愛に固執している感じですね。いや、そんなこともないかもしれませんね。
 以上が、僕なりにしてみた「秒速5センチメートル」の考察です。考察してみて思うのはこの作品は本当に上手く作られているなあ、ということです。切なすぎる話ですが、最後の踏切のシーンから、貴樹が新たな人生を歩み始めようとしているところに希望を見出せます。この映画が再上映されるほど人気があるのはそれが理由だと思います。初恋を拗らせすぎた男のただの話なんて興味を持つ人の方が少ないと思います。切なくて悲しいけれども、それぞれは新しい生活を始めるしかなく、2人が出会うことはもうないけれども、いつも2人の心の中に互いが存在し続けるということが僕含めて多くの人の心を惹きつけるのでしょう。

 

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