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全てに完璧を目指すよりは80点を下回らないようにする方が良いかもしれない

現代文における選択肢の選び方

高校生活ももう半分が終わり、来年は受験生になる私はだんだんと受験勉強というものを始めている。なかでも現代文は好きなのでセンター試験や共通テストなどの比較的易しい問題で演習をいくらか積んでいる。そうしているうちに、評論文でも小説でも成り立つ、選択肢を作る上での共通しているルールのようなものがだんだんと分かってきた。それは一言でいえば「ミスが一つも含まれていないもののうち必要な要素がより多く含まれてるものを選ぶ。」ということだ。例として傍線部の説明の問題で考えてみる。まず傍線部の前後の記述から傍線部を説明する上で必要な要素が3つあるとする。そして選択肢の中にその3つの要素を全て満たし、かつミスが一つもない選択肢があればもちろんそれが正解になる。しかし例えば、3つの要素を満たしているけど本文の内容に反する記述が書かれている選択肢と2つの要素をみたしていてミスがない選択肢のどちらもがあった場合は後者が正解になる確率が高い。ここで私が伝えたいことはミスをしなければ少し足りていなくてもなんとかなるということであり、別の言い方をするとどれだけ完璧でも一つのミスで台無しになってしまうということだ。

たった一つのミスの重み

このことは現代文の問題だけでなく生活一般に当てはまると思う。私たちの歩いている地盤は思っている何倍も脆く、ちょっとしたことで崩れてしまう。何気なく言った言葉で相手が相当傷ついてしまう、自分の不注意で組織が大きな不利益を被ってしまうなど少し考えただけでもたくさんある。そしてこのようなミスはどうにかして避けたいものである。そこでこのnoteのタイトルにもある通り、「80点を下回らないようにすること」が大切だと思う。ヒューマンエラーは一定の確率で必ず起こってしまうものだが、その確率を少しでも減らす方法はあると思う。忙しくてテンパっているときとゆったりとして落ち着いているときだったら、客観的に考えたら後者の方がミスは起こりにくいだろう。そこで、「完璧を求めすぎない」というのが大事になってくるのである。完璧は求めること自体は悪くないが、私の経験から言うと最後まで完璧に終えられたことはあまりない。大抵はどこかの時点で妥協して80点くらいで終わってしまう。それなら最初から現実的に80点くらいの目標を立ててやってはいけないミスに備えたほうがよっぽどいい。来週の定期テストで学年一位を取るために1週間ずっと夜通しで勉強して結果的に一位をとってもその疲れでその後の勉強について行けなくなったらそこまで効果的なことだとは思えない。私が完璧を求めすぎないことを勧めるもう一つの理由は、自分を追い込みすぎないようにするためだ。完璧を求めすぎると常に焦り、理想と現実の差異に苛立ち自己嫌悪に陥る。こうなるよりかは余裕を持って過ごし、頑張れない時があっても自分のことを許せるほうがよっぽど人間的だと思う。

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