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【読書感想文(1)】ホメロス『イリアス』

松平千秋 訳 (全2冊)
10年にわたるトロイア戦争の末期、物語は、激情家で心優しいギリシア軍第一の勇将アキレウスと王アガメムノンの、火を吐くような舌戦で始まる。トロイア軍の総大将ヘクトル、アキレウスの親友パトロクロス、その敵討ちに奮戦するアキレウスら、勇者たちの騎士道的な戦いと死を描いた大英雄叙事詩。格調高く明快な新訳。

「90年版 岩波文庫解説総目録 1927~2016」より

トロイア戦争といえば、トロイの木馬。コンピュータウイルスの名称になったくらい有名なので、当然「クライマックスはこれやろ」と思って読み進めていたんだが、驚いたことにホメロス作の本叙事詩では「トロイの木馬」は1ミリも描かれない。なぜかと言うと、敵城に攻め入る前に物語が唐突に終わってしまうからだ。

その真相は謎に包まれている。実際はトロイア戦争の結末まできちんと謳っていたけれど、長い年月を経るうちに欠落してしまっただとか、作詩の途中でホメロスが死んでしまっただとか、あるいはホメロスが病気で臥せっている間に他の吟遊詩人が別の詩で謳ってしまったので、ホメロス自身は諦めて『オデュッセイア』に移ってしまっただとか、色々学説はあるけれども、どれも推測の域を出ない。そもそもホメロスなる人物が本当に存在したのかどうかすら諸説あるらしく、それくらい真相は闇の中である。

また、本叙事詩が作られた紀元前8世紀の古代ギリシアには、文字なんてものはなかった。いや、正確に言えば「線文字B」とかいう原始的な文字はあったものの、とても壮大な叙事詩を書き表わせるレベルの文字ではなかったらしい。

では、どうやって物語を語っていたのかというと、声に出して謳っていた、いわゆる「口誦文学」である。もちろんカンペなんてないわけだから、長くて複雑な物語を全て丸暗記。この時点で、記憶力のすこぶる悪い僕からすると神業である。

ちなみに、こうして物語を語ることを生業にしている人のことを「吟遊詩人」と言う。ホメロス自身も、当時ギリシア全土にたくさん存在した吟遊詩人のうちの一人だったに違いない。

実際、トロイア戦争が起こったとされる紀元前1250年頃は、竪琴を弾きながら歌うスタイルが主流だったが、ホメロスの時代まで下ると、小道具の杖を振りかざしながら節や抑揚を付けて語るスタイルに変わっていったんだそうで、本叙事詩も古代ギリシア語では、1行が全て「長・短・短・長・短・短」のリズムで刻まれる「6脚韻(=ヘクサメトロス)」で構成されるなど、声に出して語ることを前提に作られている

さて、翻って現代に生きる僕たちは、よもや口誦で聴いているわけもなく、文字で書き写された「本」という形式で『イリアス』を鑑賞していることだろう。しかも、日本語に翻訳されているわけだから、ホメロスのオリジナル版とは全く異なる鑑賞方法であることは、念頭に置いた方が良いだろう。

例えるなら、日本の俳句は「5・7・5」のリズムの中でいかに情緒溢れる句を詠むかが真髄なわけで、これを外国語に翻訳してしまうと、それはもう俳句じゃないよね、というのに似ているかも知れない。

実際、以上の事柄を知っているか否かで『イリアス』を読む姿勢がかなり変わってくる。僕も最初は、もったいぶった文章で読みにくいと思ったんだけど、これは本来は聴き、見るものなんだと知ってからは、語り手の声の抑揚や使い分け小道具の杖を槍や刀に見立てて振り回すなどのジェスチャー聴衆に直接語りかけるテクニカルな話法などをフル活用しながら語る吟遊詩人の姿を想像して読むようになった。そうすると、途端に物語が色づいてくるのだから面白い。

さて、古代ギリシア人にとって「ホメロスの叙事詩」は、単なる娯楽である以上に道徳教育でもあったらしい。名高いホメロスの叙事詩で謳われる英雄たちはこんな言動をしていたんだから、これを見習って日々の生活を送らなくちゃ、といった具合だ。

とは言うものの、奴隷制度や報復行為を是としている時点で、現代人の感覚からはかなりズレてしまっているので、これを道徳の教科書とするのは少々厳しい。では、『イリアス』は単に過去の英雄物語に過ぎず、西洋古典文学の源流であるというだけの、埃の被った書物なのだろうか。

いやいや、決してそんなことはないハズだ、なんて素人の僕には分からないけれど、読んでいて個人的に思ったのは、人類の歴史上、最古レベルの古典文学でも、そのテーマは「戦争」なんだな、ということ。

そして、本叙事詩で描かれるギリシア軍とトロイア軍の戦争は、非常に血なまぐさい。槍でこめかみを突いたら目ん玉が飛び出したとか、下腹部を切ったら内臓が飛び出したとか、とにかくグロテスクな描写が多いのだ。

それ自体は聴衆を惹きつけるための話法の一つなのかもしれないが、そのおどろおどろしい語りを聴いた子どもたちには、稲川淳二レベルの恐怖体験だったのではないか。少なくとも安眠は出来なかったに違いないし、大概の人は「オラ、こんな恐ろしい戦争になんて行きたくないだ…」ってなったんじゃないか。まぁ、一部の血気盛んな者たちはそう簡単にはいかなかっただろうけれど。

また、本叙事詩の一番の見どころは、おそらく英雄たちの戦闘シーンではなく、仲間や家族を殺された者たちの嘆きにあるんだと思う。特にトロイア軍の総大将ヘクトルを失った父王プリアモスや妻アンドロマケらの嘆き悲しむ姿は、現代においても涙を禁じ得ない普遍性を有している。それが、偶然か否か物語のクライマックスなのだからグッとくる。

翻って我々の時代を眺めてみると、人間は今も何かと理由をつけて戦争をしている。しかも、古代ギリシアの時代と比べて、ミサイルだのドローンだのといった最新兵器の導入によって、人を殺めるための抵抗はかなり薄れていると言ってよい。指先一つで、それこそゲーム感覚で人を殺せるんだから、全知全能の大神ゼウスもびっくりだ。

私論だけど、こういう戦争したがる人達には、往々にして想像力が欠如している。想像力が欠如しているから戦争をしたがるといった方が正しいか。戦争に限らず、暴力、ハラスメント、いじめなどをする人達は皆そうだ。その行為をすることで相手やその家族、友人らはどう思うのか。反対にもし自分がされたら…?

それらを想像することさえ出来れば、この世界はもう少し良くなるかもしれない。そう、現代にもホメロスがいて、僕たちに物語を謳ってくれたら…オラ、こんな戦争なんて真っ平ゴメンだ、そう言えるようになるための『イリアス』なんだろうかと、あえて思う。

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