見出し画像

夫婦の距離感

ライター講座の宿題で父との思い出を題材にコラムに書いた。
父はわがままで気分屋で私たちは迷惑ばかりかけられていたような気がする。そんな父が嫌いだと思っていたが、思い返すと案外悪いことばかりではなかった。
私の気持ちは好きじゃないけど、嫌いじゃないというところに落ち着いたという内容だ。
この好きじゃないけど、嫌いじゃないっていうことは、結局のところ「フツー」ともいえるのかもしれない。でも、「フツー」って心が動いてない感じがするのだ。
微妙な心の揺れを表すのに「フツー」という言葉はあまりにも平坦すぎる。

実は夫に対する気持ちも好きじゃないけど、嫌いじゃない。
うんざりすることもあれば、感謝するときもある。
顔も見たくないときもあれば、一緒に観光地へ出かけることもある。
30年以上連れ添い、波もたてば風も吹いた。それでも別れもしないで二人で暮らしている。
好きじゃないけど、嫌いじゃないぐらいの距離感がちょうどいい。

“夫の頭に大きな10円ハげを見つけた智代は「へぇ」と一回頷いた。驚きでも心配でも笑いでもない「へぇ」だった。”

桜木紫乃さんの「家族じまい」という小説の冒頭だ。
この「へぇ」という気持ち、この気持ちが長く連れ添い夫が恋人でも夫でもない存在になった時の気持ちだと思う。

30年以上前、食器洗剤のCMで「チャーミーグリーンを使うと手をつなぎたくなる♪」という音楽が流れ、老夫婦が手をつなぎながらスキップしていた。
年齢を重ねても、この老夫婦のように仲良くしていたいと思っていた。

今は、普段はお互いに単独行動をし、なにかあった時に二人で動くというのが一番いい。

お互いが依存せず、自立した一個の人間になったということか、距離感はあるけど。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?