一瞬を覚えている。
最近はほとんどないけど、1年くらい前まで希死念慮が強かった。
毎日疲れ果ててしまって、私は疲れ果てながらこれから生きていくのかと思ったら、全てを終わりにしたくなった。
生き延びるために他のもので埋め合わせをして、その埋め合わせに苦しめられて、蟻地獄みたいなところにいた。自覚はなかったけどね。
死にたくなって、静まり返った夜に、天井を見つめながら、死にたい、誰か殺してくれ、と考えていた。
そしていつも思い出す。
私はあのとき、死ぬチャンスを失ったんだと。
7年前の話。もう7年も経つのか。
当時付き合っていた彼とデートをしていたとき、私は彼に首を絞められた。
デートといってもショッピングモールや遊園地に行ったわけじゃない。穴場な空き地があって、そこで2人で話をしたり、キスをしたりしていただけだ。
覚えているのは、5月の眩しい太陽、澄み切った青空、吹き抜ける風の匂い、軽い草いきれ、そして彼の手の感触。
「首を絞められると気持ちよくなれるらしい」という話をどこかで聞きつけた彼が、遊び半分で手をかけた。私はそれに応じた。
実際どうなんでしょう、科学的根拠はあるのかな。
でも私が感じたのは「快感」ではなく「幸福」だった。世界がいつもより輝いて見えて、そばには大好きな人がいる。
酸欠でぼんやりしてきても、生存本能は湧かなかった。ただ彼の手に身を任せていた。
「息苦しくなったら合図してって言ったじゃん」
あまりの反応のなさに驚いたらしい彼は私の首から手を離した。
心の底から残念だと思った。
苦しくなるといつも思い出す。
あの幸福に包まれていた一瞬を。
死ぬには最高のタイミングだった。
彼の手で殺されたかった。
でも結局彼は私の手を離したわけで、時間が戻るということもなく、死ぬタイミングを逃した私は惰性で生きていく。
あのときの手の感触を思い出すと、少し気持ちが慰められるから、死にたい夜はいつもあの一瞬に縋っている。
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