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「佐伯祐三」展に行って

 2023年3月展覧会の記録・その4
 「佐伯祐三 自画像としての風景」展に行った(東京ステーションギャラリー)。

 佐伯祐三と言えばイケメン(笑)。2002年の「文藝春秋 創刊80周年記念」号で、中野翠さんが「風貌のいい男80人」に選んでいたのを思い出す。しかし肝心の絵は画集でちらほら眺めていたくらいで、展覧会でまとまって観たことはなかった。パリで夭折した人生と合わせて、どこかイメージ先行の画家であった。

 本展は「厳選した代表作100余点を一堂に展示」(チラシより)、また東京では18年ぶりの回顧展ということで、等身大の佐伯祐三を知る絶好の機会になった。

 3月30日(木)、会社を午後休して東京駅へ。けっこう並んでいたが、事前に日時指定していたので、優先して入れた。
 構成は、プロローグ・全3章・エピローグ。章は街ごとに分けられていて

1章:東京と大阪(1926~27年)一時帰国時代
2章:パリ(1回目1924~26年、2回目1927~28年)
3章:ヴィリエ=シュル=モラン(1928年)

 テーマはサブタイトルにある「自画像としての風景」。ゆかりの地の風景を通じて、画家が絵に込めた自己を感じ取る。以下、展示の流れに沿って感想を。

 まずプロローグで対面するのは自画像たち。力強い表情、逆にどこか不安げな目、幾枚かの自画像の後に「立てる自画像」(1924年)を観る。削り取られた顔は、直接に自分を描くことからの決別表明に思える。 

「立てる自画像」(1924年)本展ポスターより

 以降は風景画が中心。暗い緊張感、勢いのある筆さばき、時に大胆な構図。
 東京・大阪では、画面を引き締める電柱や船の帆柱が印象に残る。特に気に入ったのは、ポストカードでも買った「下落合風景」(1926年頃)。すっくと立つ電柱とゆらゆら蠢きそうな周りの風景。夢の中のような超現実的風景に見える。

「下落合風景」(1926年頃)ポストカード

 また現在の中落合3丁目あたりを描いた「雪景色」(1927年)は、斜面がほとんど垂直の壁のようにそそり立ち存在感がある。

「雪景色」(1927年)本展図録P51より

 存在感のある壁といえば、1回目パリ時代の、建物を正面から捉えた作品。ものが持つ生々しい力に迫ろうとするかのようだ。

「コルドヌリ(靴屋)」本展ポスターより。壁の存在感

 この時代で一番惹かれたのは「街角(モロ=ジャフェリ広場)」(1925年頃)。左のビルの側面は火事で燃えているように赤く、空は煙に満ちているように灰色。重苦しさが漂うが、手前は広場になっていて若干の解放感が救い。

「街角(モロ=ジャフェリ広場)」(1925年頃)本展図録P93より

 1回目パリ時代の「壁」に対して、2回目パリ時代は「線」。例えば「ガス灯と広告」「広告貼り」(ともに1927年)。壁に貼られたポスターの文字が画面を支配する。不動の壁から流れのある文字へ。画家の興味がどこに向けられているのか、どう変化していったのか、興味深い。

「ガス灯と広告」(1927年)本展図録P130より
「広告貼り」(1927年)本展図録P137より

 佐伯祐三はまた動く。1928年になると、それまでの線の描写から離れ次の表現へ。第3章の舞台ヴィリエ=シュル=モランは、パリから東へ約40キロの村。田舎の風景が画家の精神に良い作用をもたらしたのか、ここでの絵は力強く活気がある。代表作「煉瓦焼」(1928年)は、太い輪郭に明るい色彩で生のエネルギーに満ちている。

「煉瓦焼」(1928年)ポストカード

 そしてエピローグに、本展の看板作品「郵便配達夫」(1928年)が。風景画に熱を入れていた佐伯が、ここにきて人物を描くとは。しかしこの堂々とした力強さ、落ち着いた雰囲気は、ヴィリエ=シュル=モラン時代の絵と共通するところがある。この時期の佐伯の精神状態と表現方法を垣間見た気がする。

本展チラシ表に「郵便配達夫」(1928年)が。

 「郵便配達夫」を作成してから約5ヶ月後の1928年8月16日、佐伯祐三は30歳で生涯を閉じた。
 
 場所や時期により、佐伯祐三が何に視線を向け、どう表現したのか、その変化を存分に味える展覧会だった(解説が理解の助けになった)。   
 短い人生の中、焦点を変えながら貪欲に表現を追及した生涯だったと思う。最後は病に苦しんだというが、晩年の「煉瓦焼」や「郵便配達夫」での安定感と躍動感が調和した作品には、救われる思いがした。
 自分の中で孤高の存在だった佐伯祐三という画家が、グッと身近に感じられるようになった。

本展図録

 この文章を書いている現在、展覧会は大阪に巡回中(大阪中之島美術館、6月25日まで)。近辺にお住いの方はぜひ。


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