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さびしさは鳴る、か……。

小説「蹴りたい背中」の冒頭に書かれているのが、「さびしさは鳴る」。
そっか、さみしさは音を奏でるのか、不思議な表現だと思った。
けれど今日、それは一人ぼっちの時に耳と心を通り過ぎる「静けさ」なのかもしれないと感じた。

飛び石連休で子どもや孫たちが集まり、家の中は非日常と化した。
いつものように、ゆっくり朝寝もできない。孫たちの賑やかな声に起こされて、慌ただしく食事することから一日が始まる。

買い物へ行ったり、「あそびの森」や「こどもっち」へ行ったり、野菜の収穫体験をしたり、「スイッチ」でTVゲームに興じたり。
孫のおかげて、ふだんはできない楽しい体験をさせてもらった。
夕方には疲れてへとへとになるけれど、それがまた新鮮なのだ。

そして、嵐が去るように一斉にいなくなってしまう。
後に残されるのは、いつもの静かな毎日。

ああ、この静けさが「さびしさは鳴る」なのかな。
この、今の気持ちが「さびしさは鳴る」なのかな。
うまい表現をしたものだ。

常套句ではなく、自分なりの表現を書けるってすごい。
わたしも自分なりの表現を作り出したいものだ。

きっとそれが、作者の個性になっていくんだろうなあ。



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