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閑話休題・霊感商法とお金と得た学びの話①

いよいよ自己分析とか就活にむけてとかいろいろ入っていくわけですが…
その前にしばし与太話におつきあいください。

先日、いわゆる霊感商法なるものに出会いました。
結論から申し上げますと、一銭も払ってはおりません。
そして、そこからある学びを得ました。


上記に書いたように結局は一銭も払っていないです。
(そもそもお断りいたしました)
霊感商法云々についてはのちほどさらっと触れるとして
その人を貶めるつもりも一切ありません。

ただ私はそのとき
「そのものの値段はいくらか?」っていったいどう決まるんだろう…ということは非常に気になりました。

目に見えるものだったらまだわかりやすいと思います。

たとえばりんご1個○○円というのだったら需要と供給のバランスで
同じ価値感覚で一致したところが、その値段になると思われます。

たとえば金は高価ですが
供給量が少ない・生産コストが莫大・かつ物自体の永続性が高い
(ほぼ経年劣化しない)・そしていつか採れなくなるから
もともとの値段が高くなるのだろうというのは理解できます。

ただ、たとえば「あなたの霊を払います」的なものは
どれくらいの値段になるのか?

これは目に見えない、というのもそうですが、受ける側の価値感覚が非常に難しいものだと思います。

もしそれが実際によからぬ霊がいて、当人ではどうしようもなくて、
実際にお祓いしてちゃんとその人の不幸の原因が100%取り除かれるのであれば、相応な対価を払わないといけないはずですし
また、もし本当に「祓える」のであれば相当の能力も必要でしょうが、もろもろの負担、身体的精神的コストはかかると思うんです。
※所謂事故物件についてのお話とか、なかなかシュールだそうです※

かといって効果が体感できない場合は「全然嘘だったじゃないか」ということで価値がゼロということになるでしょうし
そもそも霊など絶対に信じない人にとってはその時点で価値ゼロになることでしょう。

そもそも「価値」ってなんなんでしょう?

もちろんそのものの値段、
それまでにかかったコストとか、稀少性とか、時間とか、いろいろあると思いますが
それ以外に私は価値とは【ある種の信仰】みたいなものじゃないかなと思うんです。

そのもののメリットというより、そのものに価値があると信じている、という。
そしてそれを信じている人が多い(※かつ持っている人が少ない)ほど高くなる、というものかなと思います。

※たとえばお金は『これは○○円の価値があると社会通念上信じられている』から流通しているわけですし…
お金だって物質的には紙幣は紙だし、暗号資産なんてなおさらですね※

話はもとにもどりますが
お断りした理由としては、その人の霊能力の有無、霊が存在するかしないか、それ以上に
こちらの需要(そもそもない)もさることながら
やり方や金額設定が自分にとって「ん?」というか
いろいろと不明に感じるところが多かったというのが大きかったのですが……

ともあれ今回の出来事で思ったこと。

【信じる】(※正しく信じる)って本当に大切なことだと思います。

『正しく思考しなさい、そうすれば世界中の欠乏を癒すでしょう』という言葉があるように
盲信でなく、正しく信じることはきっと世の中に大きな価値と力をもたらすと思います。

ただ、価値感覚がひとりひとり違う以上、【信じる】の押し付けはしてはいけないものだし
正しく信じる、信じるという行為に効力を与えるためには
自らいろいろ考えて、調べて、知って、納得しないといけないんじゃないかな……

とか、自分の小さな頭でいろいろ考えてしまったとある日の一日でした。

ちなみに私のそのとき得た学びについては(↑↑のことではないですよ~)別途書きます。

※なお、この記事はあくまでも個人的な体験に基づく感想であり、
特定の誰かを貶めるためのものでないことを追記しておきます※

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