「天気の子」のいまさら感想

  • 序盤の雨の役割が面白い。涙、汗、雨が判別不可能になることで風景と人物の感情という二つのレベルが即物的に一致している。新海の作風である「風景による感情描写」の「による」を消してベタっと均したようだった。

  • 全体的に、天気の巫女の話がウソで、陽菜が晴れを呼ぶのも単にたまたまだという余地をわざと残しているように思えた。というかそういう「たまたま」でナラティブを駆動する、ゼロ度のご都合主義みたいなのが、拳銃をあまりに唐突に拾うシーンからずっと流れ続けているように見えた。それでも信じ続ける帆高は端的に「陰謀論者」(月刊ムー!)だがたまたま世界観と世界が一致してエンディングまで進む。「世界は最初から狂ってる(=お前は陰謀論者だ)」と言うスガに対し「僕らが世界のありかたを変えたんだ」「僕たちだけが真実を知っている」と帆高。

  • 「ボクとキミの二者的な関係が世界全体の在り方に短絡する」のがセカイ系だとすれば、これはその短絡の行き過ぎと、反対に「たまたま」という外部を示している点で「メタセカイ系」だと思う。帆高と陽菜が、たまたまかもしれない同じ世界を共有しているとしたら、そういうのは普通に自分の好みなので嬉しい。





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