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ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。〜世間知らずの夢の成就は、屋敷ではなく平民街で〜 第十二話

 お茶会に招かれて時間を潰すのは、貴族にとっては義務に近い。
 柔らかな日の光の下、紅茶の香りに鼻を擽られながら私は小さくため息を吐く。

「ザイスドート様?」

 すぐ隣から、綺麗に着飾った女が不思議そうに私を覗いた。
 綺麗なデコルテやほっそりとした腕も惜しげもなく晒しだした、フリルまみれの深紅のドレスを身に纏った女・レイチェルは、まるでバラの精のようだ。
 しっかりとした目鼻立ちとそれを際立たせる化粧、すべらかな肌はシミや傷一つも知らぬ、美しい陶器のようだった。

 おそらく、連れていれば十人中九人は褒めるだろう容姿の女である。その隣にあってため息をつくだなんて、きっと私は贅沢なのだろう。
 が、最近どうしてもよく思いを馳せてしまう。ここにはいない、彼女に対して。

 ――フィーリア・ドゥルズ。

 傍から見れば、彼女に思いを馳せたとて、何もおかしな話ではない。
 そもそも彼女は私の妻なのだし、この社交シーズンになってもまったく社交場に顔を出さなくなった彼女の事を、周りには「病気療養だ」と伝えている。むしろ彼女の体を心配するという意味で、真っ当な夫であるだろう。

 しかし事情を知る者からすれば「何故今更」と思うに違いない。
 フィーリアを屋敷からにべもなく追い出したのは、誰でもない私自身だ。たとえそこにきちんと理由があったとしても、その事実は変わらない。

 我がドゥルズ伯爵家は、もともと新興貴族だった。
 元々は男爵家だったのを、今は亡きお祖父様が功を為して伯爵位に上げた。
 いわゆる成り上がりというやつだ。お陰で子供の頃からずっと、同年代の子女からは親からの受け売りで「成金」と言われ続けてきた。

 私の周りにいたのは、私をそうやって過去の環境を取り上げてバカにする人間と、私の今の爵位を見てすり寄ってくるようなヤツらばかりだった。
 私の事を一人の人間として見てくれていたのは、フィーリア一人だった。彼女が私の心の安息地になってくれた。
 しかし、彼女が認めてくれたところで俺の環境は変わり映えしない。

 父上は伯爵家を現状維持に留めたが、私は父上とは違う。
 私もお祖父様のように上を目指し、誰にも文句を言わせないような地位に昇り詰める。そんな目標を胸の中にずっとくすぶらせていた。

 だから社交に力を入れた。
 俺に領地経営の才はない。最初からそうと分かっていたから、無駄なところには注力しなかった。
 周りと繋ぎを作り、貴族としての影響力を増やしていく。そちら側に舵を切った。

 フィーリアは、目立つ事全般が苦手だ。しかしそれで良い。
 彼女は俺の安息の地だ。いつも私を肯定し、理解して優しく包み込んでくれる。そうしてさえ、居てくれればいい。ずっとそう思っていた、のに。

「それは、フィーリアさんに期待できないという事でしょう? 私なら、そんな貴方のパートナーになれますわ。侯爵令嬢として他貴族への影響力もお貸しできますし、私自身も貴方の隣で貴方のしたい事をサポートできます」

 リリア侯爵家から縁談話を持ち込まれ「断る」という選択肢を即座に取れなかった時点で、もしかしたらもう私の心は決まっていたのかもしれない。
 縁談を申し込まれた後、レイチェル・リリアという人物の人の為人を知りたくて会って話す場を設けた。
 その際にそう言われ、私は少し心を見透かされたような気持ちになった。

 私の野心を見通して尚「成り上がり根性が抜けないのは血筋か」と嘲笑ったり憐れんだりしなかったのは、もしかしたら彼女が初めてだったかもしれない。
 フィーリアは、私を「成り上がり」だと色眼鏡で見る事こそしなかったが、爵位を上げる事に積極的でもなかった。
 むしろ「今のままでも十分に幸せですよ」というのが口癖だった。それは確かに社交に疲れた私の心を癒すには至ったものの、正直言ってそろそろ影響力を伸ばすにも頭打ちだと感じていた私の現状を解決するものではあり得なかった。
 
 野望に向かって一人で立ち向かう孤独を抱えていた私には、とても甘い誘惑だった。

 彼女は元々男を魅了する容姿を持っていたが、何もそういう事ではない。
 魅力的な提案、魅力的な影響力。これまでずっと療養として社交界には出ていなかった筈であるが、露出を始めて以降の彼女は実に精力的に活動している。
 顔繋ぎの意欲と実績には目を見張る。すでに提案を有言実行をしているという点でも、彼女という人間は魅力的だった。

 だから思ってしまったのだ。
 フィーリアには家を、レイチェルには外を支えてもらえたら、それは誰にとってもいい結果になりはしないか、と。

 そもそもフィーリアには、私に付き合ってもらう形で苦手な社交場に出てもらっていたのだ。その部分をレイチェルが補うのなら、フィーリアには気兼ねなくのびのびとしてもらえるだろう。
 家の意向なのか、それとも彼女自身の思惑があっての事かは分からないが、我が家に嫁ぎたいレイチェルの希望も叶うわけだし、私だって今以上の充実感を得る事ができるだろう。

 一度そう思うと、最早それ以外の答えなど無いように思えた。

 だからレイチェルとの婚姻を受け入れた。
 フィーリアには、決定事項だけを伝えた。
 そもそも彼女は俺の言葉に「嫌だ」と言ったりはしない。私のためにより良くしようと動いてくれる優しい女性だ。
 だからその点に関しては全く心配などしていなかったし、実際に問題もなかった。彼女は一言も私に反論する事もなく「分かりました」と答えてくれた。

 フィーリアは、人見知りはするが人当たりも悪い方ではないし、実際に屋敷の使用人たちともうまくやっている。レイチェルが来ても問題など起こらないだろうと高をくくっていた。 
 が、それは大きな誤算だった。

 一体何が気にくわないのか、レイチェルはフィーリアをどうにも好きになれないようだった。

 思った事はすぐに口にする素直なレイチェルと周りとの調和を考えて言葉に気を遣うフィーリアでは、元々性格は正反対だ。それが災いして一方的な状態になっているのは、レイチェルが来てわりとすぐに感じていた。
 が、フィーリアに話を聞いてみると、別にレイチェルの事を嫌っているようではなさそうだ。となれば、とりあえずはまだ嫁いでまもなく屋敷に慣れていないレイチェルに配慮するのが良いだろう。

 どうせ慣れれば上手く折り合いも付くだろうし、レイチェルも今は、フィーリアに少し物を言うだけでどうやらスッキリしているようだ。手を上げるようならば未だしも、そうでないのならここは少しフィーリアに我慢してもらおう。
 そう思って、そう伝えた。フィーリアはもちろん「分かりました」と言った。
 その後に続いた「社交、あまりご無理をなされませんように」という言葉に癒されて、私は一層「大丈夫だろう」と思った。
 それ以上、この件について考える事は一旦やめた。が、先日だ。

「ザイスドート様、私、あの女が目障りで目障りで仕方がないのですけれど。そろそろ『処分』してもいいのでは? 貴方にとっても不要でしょう?」

 リビングのソファーで寛いでいた家族団らんの時間、彼女のあまりにも「当然そうでしょう?」と言わんばかりの言葉に、私は一瞬言葉を詰まらせた。

 目障り? そんな事は思った事がない。
 そういえば最近は、私がフィーリアを構えば構うほどレイチェルの機嫌を損ねると分かったから、あまり彼女に声は掛けない。そうしている内にあまり姿を見なくなったが、だからといって不要だなどと思った事など一度だって無い。

 が、有無を言わせぬ物言いに「もし私がここで本音を言ったら」と考えた。
 もしかしたらフィーリアが害されるのではないか。私の目の届くところでならばいい。すぐにでも止めにいけるから。しかし陰でフィーリアが折檻など受けたなら。そんな危機感に苛まれた。

 ジワリと手のひらに汗をかく。
 それはダメだ。でも、せっかく社交が上手く回っているのである。それにはレイチェルの――彼女の後ろの侯爵お陰である部分が大きい。今彼女の機嫌を損ねることは避けたい。

「――そうだな」

 色々と考えて、決めた。

 彼女を逃がそう。危害を加えられない所に。
 少し経てば、きっとレイチェルの頭も冷えるだろう。そうすればまた、戻してやればいい。
 
 フィーリアは、私の決定に異を唱えない。
 いつでも言葉足らずな私の心を察し、私を癒してくれる女性だ。今回もきっと何も言わずとも、私の愛情を察するだろう。

 だから、雨降りしきる中、彼女のために心を痛めながら演技をした。

「フィーリア、お前はもう要らん」

 そんな言葉で、彼女を逃がした。

 『婚姻契約』を保ったままにしたのは、彼女が戻ってくる場所を残しておくためだ。レイチェルを説得するのには少々骨が折れたが、それもフィーリアを守るためには致し方ない労力だ。
 
 もし彼女が平民街で行き倒れていたら、その時はどうにか助けよう。そう思い、少しの間見張りを置いていたものの、どうやら彼女は雨風を凌げる場所を見つけたらしい。私が渡していたお金で、きちんと食事も摂っているとか。
 ならばいい。フィーリアには不便な生活を強いてしまうが、今は必要以上の行動を起こしてレイチェルに事の次第が知れる方がマズい。少し我慢してもらおう。

 フィーリアのあの、氷を優しくとかすような陽だまりのような柔らかな笑顔が、少し恋しい。
 が、彼女が我慢しているのだから、私も我慢せねばなるまい。

 しかし、今頃何をしているだろうな。

 きっと知らぬ土地、知らぬ環境で心細い思いをしているだろう。
 人と話すのが苦手で、取り立てて突出した得意事も無い。実家も取り潰された今、優しいが何かと地味で生活力も無い彼女を本当の意味で必要としてやれるのは、最早私だけなのだから。

「ザイスドート様、少し二人で庭園を散策しませんこと?」

 レイチェルが、腕に手を絡め体を寄せてくる。
 女物のきつめの香水が鼻を掠め、「そういえば、フィーリアは香水の類はしなかったな。代わりにいつも、石鹸のいい香りがした」などと、また彼女に思いを馳せる。

 安らぎの地は、やはり近くにある方がいい。だから早く、現状が好転すればよいのだが。
 私はそんな風に思った。

【各話リンク先】
第一話:https://note.com/rich_curlew460/n/n02b3af7df971
第二話:https://note.com/rich_curlew460/n/nc5a6a501aa1c
第三話:https://note.com/rich_curlew460/n/nf657217e33a7
第四話:https://note.com/rich_curlew460/n/n0bcd36a46767
第五話:https://note.com/rich_curlew460/n/n76ef05998ecb
第六話:https://note.com/rich_curlew460/n/n1da0c89af729
第七話:https://note.com/rich_curlew460/n/nd2f55ce8792d
第八話:https://note.com/rich_curlew460/n/n5b17d5a00e7f
第九話:https://note.com/rich_curlew460/n/n1d1b17ac74db
第十話:https://note.com/rich_curlew460/n/n508f3f9cf98a
第十一話:https://note.com/rich_curlew460/n/n68142bd1a7f9
第十二話:https://note.com/rich_curlew460/n/n20fe7909dbbb(←Now!!)
第十三話:https://note.com/rich_curlew460/n/n629e515995eb

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