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自分と向き合う

縁あって自分と向き合うことをテーマにしたイベントに参加できることになった。参加理由は自分と向き合う為ではなく、推しが参加している事やその中でのワーク、またそこで作られる雰囲気を知りたかったから。主催者様には何とも失礼な理由かもしれないが、その旨はちゃんと伝えたという頭の悪さである。

では自分と向き合う気は無いのか?と言えばそうではない。もう何年も自分という人間を知りたくて、スピリチュアルや算命学の道へ進んできたのだから。

自分と向き合うとはどういうことなのだろう?

・問題点を知り解決策を見つける
・望みを知り叶えるべく動く

思いつくのはこんなことくらいだが、問題点に関してはイヤというほど見つけ考えてきた。でも未だに解決しないということは、今まで導き出した解決策は間違っていたということなのだろうか。

望みを知ることもそう。

ここでつまらない話をしてみよう。

昼食時になり何を食べようか考えた。
考えた結果ダイエットをしたいという望みがあるので食べない選択をした。食べない方が作業効率が良い。
だが体にとっての栄養素は取れないという不都合があるので、カロリーメイトを食べることにした。
結果眠くなりうたた寝をしてしまった。
はっと起き上がりどうせ作業しないなら何か食べるか!と手軽にカップ麺を食べた。
そして軽く仮眠もとり腹も満たされた末、本来やるべき作業をせずにこうして記事を書いている。

ここでの願いはダイエットと作業したかったこと。しかし結果はな過剰なほど昼食をとり、やるべき作業は一切手つかずで終わった。唯一の救いはずっとnoteの更新をしたかった事がやっとできた。

もしかして私の一番の望みはnote 記事を更新する事だったのだろうか?

いやしかし書こうとしていた内容は強迫性障害について。このことと以前書いた記事を絡めて……。色々と考えていたが、いま全く別の事を書いている。私は強迫性障害について書きたくなかったのか?

ちなみに書いておくと、強迫性障害という病気について説明するようなものではないので、もしその障害で悩まれている方がいても、役に立つような情報は一切なかっただろう。

さて話を自分と向き合うことについて戻していこう。

私は昨日カップ麺が食べたかったので、今日の昼食にしようとスーパーで買った。実は昨日の望みは叶っていたという。

ではダイエットしたい気持ちは叶わなかったのだろうかというとそうでもない。なぜなら自分の中で食事を抜くより体を動かして痩せた方が良いという思いがあるからだ。更に体を動かす気力がないので動かしたくない思いもある。

つまり顕在意識では「ダイエットのためにお昼ご飯を抜けばよい」より、潜在意識にあった思いが叶えられたということ。

なんなら作業と書いているが本当は算命学の鑑定で、自分が選んだ人ではなく課題として出された某有名事務所の2人。ミリも興味がない人物でその事務所がどうなろうと、その人がどうなろうと知ったこっちゃない。

例え修行中とはいえ鑑定するなら少しでも役に立てて貰いたい。誰かの為になる鑑定がしたいので『やりたくない!!!』が叶ってしまったのだ。

それに連日の夜更かしと、弁当作りのための早起き。お昼寝したい体の望みも見事にかなっているから笑える。

さて今回の記事は【望みの叶え方】ではなくて【自分と向き合う】ということ。ここからは『もしも』と仮定した話になってしまうが、上記のつまらない話で自分と向き合ってみようと思う。


⁑ダイエットはしたいが食事は抜きたくない⁑

ダイエットをしたい理由は推しのライブがあるから。でも食事を抜いて痩せると体力が落ちる。顔もやつれた様に痩せる or 顔は最後まで痩せない説もあるので有効ではない。
スピ的能力の向上のためにも今の体重では重すぎる。だけど大事なのは三次元であり一介の主婦。体力が落ちれば家事ができない。

⁑眠くても夜更かしがやめられない⁑

推しの配信が深夜まである。推しはグループ内の1人ではあるが箱推しでもあるため、誰かが配信をすれば追いかける。と言えば推し愛があって良いのだけど本心は、リスナーのマウントが気に入らない。マウントを取られないようにグループ内の情報は知っておきたい。推しにも認知し続けていて貰いたい。BBAが何を!な話だが男女の云々までは要らないがオキニにはなりたい。誰だって好きな人には気に入って貰いたいはずの思いを推しにも抱いている訳で、更年期の体に鞭を打ちながら夜更かし続けるのである。

⁑算命学の鑑定の勉強をしたくない⁑

算命学を習い始めて数年経った。本来算命学の学びは最低7年とも言われている。なぜか私が調べた物は全て月1回の授業なのだ。年間12回の授業では確かに長引くだろう。だがそれは昔の話でありネット社会のこのご時世、オンライン講習とすれば週1~2回は授業時間を取れるはず。月1回2時間~3時間を月4回まで増やせば深く学んでも3年程度である。しかも算命学は学問であるため、実際の鑑定に必要のない事まで習う。それくらい上っ面な鑑定ではないということなのだが、本当に学問として学者のように学ぶ人でない限り飽きは来るものである。今の私は鑑定できるレベルではあるが、困ったことにまだ鑑定に必要なパーツが足りていない。これは最後まで学び続けさす上手いカラクリだと感心する。


⁑ならばどうするか⁑

実は推し活は意地になっているだけだったりする。本当はもう抜けてもいいのかもしれない。しかし引きこもり主婦を相手してくれる存在で在り、そのリスナーもまたBBAであることを理解したうえで構ってくれる。でもスッパリ抜けてしまえば推し活名目ダイエットは必要なくなる。そして何より睡眠時間を確保できる。

睡眠時間が確保できれば思考もクリアになる。体も疲れが抜け気力が戻ってくるかもしれない。そうすれば散歩からでも運動ができるだろうから体も絞られていくだろう。食事を抜く必要もなくなる。

算命学は課題なので興味のない鑑定でもしなくてはいけない。ここでも必要なのが気力だと思うのだが、本当は面倒くさいだけで気力あれば鑑定に時間はかからない。そしてきちんと修行中である事を謳って鑑定を受け付ければ、推しやリスナーに向いていた【かまってちゃん】は解消されるはず。


ここまで来てわかる。

自分と向き合う為に頭の中で自問自答していてはいけない。誰かに聞いてもらうも良し、こうして記事として書き出すも良し、ただ紙に書き出すも良し。アウトプットすることで見えてくるのが内側の自分なのかもしれない。

と着地して笑った。

最近私が気になっている人たちが同じことを言っていたからだ。念のために書いておくと、それを聞いたり見たから分かったつもりになって書いているのではない。

もともと自分のクライアントにそう話してきた。ただ改めて『自分と向き合うとは』と考えた時そのことをスッカリ忘れていただけで、今回イベントに参加するにあたってこうして記事を書き思い出しただけ。


とここまで書いたのが11/16のこと。
その間に自分と向き合うイベントも推しのライブも終わった。

なぜ書きあがっていた記事を投稿するのが今日になってしまったのだろう?
そこにどんな流れが出来ていたのだろう?

流れとは不思議なモノ……。

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