くも膜下出血から社会復帰に至るまでの困難な日々②
入院中、私の生きがいは、生まれたばかりの息子の写真を見ることでした。
奥さんは、私の意識が戻った時に息子に会えるようにと、息子の写真を病室に貼り巡らせてくれ、意識が戻った私は、いつもその写真を眺めながら勇気をもらっていました。
息子は、私がくも膜下出血で倒れる1ヶ月前に生まれたばかりで、約1400gの未熟児でした。
通常は生まれたばかりの赤ちゃんを、親が抱っこするシーンはイメージできると思うのですが、息子は未熟児でしたから、生後2ヶ月間は保育器の中で育ちました。
よって、私がくも膜下出血で入院する前は、息子を一度も抱っこすることはできませんでした。
コロナ禍のため、病院での面会は全面的に禁止されていましたが、週に1回15分だけ窓越しでの電話面会が許可されていました。
その『週に1回15分の面会』だけが楽しみで、私は残りの1週間リハビリに真剣に励んでいました。
くも膜下出血発症後6ヶ月で無事退院することになり、念願の家族との生活を迎えることになるのですが、この時はまだ彼らとお別れしないといけない出来事が起きるなんて、想像もしていませんでした。
くも膜下出血で入院するよりも、ずっと辛く、今でも思い出したく無い出来事ですが、私が重度の鬱病になった原因はそこにありました。
世の中の全てのことがどうでも良いと思いました。
せっかく助かった命でさえ、いらないと思いました。
続きは以下です。
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