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自分が認知症かもしれないって、どんな気持ちなんだろう

90歳を過ぎ、背中をまあるくしたおばあちゃんとの話。

私が認知症の研究をしているとは伝えてないのだが、なんともなく歩く道中で、ふとおばあちゃんは、
「認知症ってあるでしょ?あれかもしれないなって思って」
と言う。とっさに、看護師スイッチが入ったような、はて、なんて答えるのがいいだろうかと援助者スイッチが入ったような、私は勝手に身構えてしまった。ちょっと考える時間と情報がほしいと思い、
「あ、それはお友達とのお話で?」
と尋ねてみた。おばあちゃんは今でもご学友とお付き合いがあるらしく、最近も施設に入ることくらい考えたらとご友人にアドバイスされたのだと教えてくれた。
「ちがうちがう、テレビでやっとるでしょう。あれみてたらね、これ、わたしのことじゃないのって思ってね」
淡々と、まるで深刻さのかけらも感じない軽い口調だった。
「あーなるほど、テレビでもやってますね。ただ、認知症っていうのは、名前がつくかつかないかっていうことだと思いますよ」
「なに?」
「あなたは認知症ですねって、言われているか、そうでないかの違いっていうだけで、あまり気にせずに生活できるといいですね」
「そう」

やりとりは、ここで終わった。この返答は、はたしてよかったのだろうかと反芻している。
年相応といってもいいくらいのほんの少しの認知機能の低下がありつつ、身のまわりのことをご家族にお任せしながら、日々を楽しく満足して暮らしているという、このおばあちゃんには、どんな気持ちが去来していたのだろうか。私が看護師だと知ったから話してみたのか、本当はずっと心配していたことだったのか、何か困っていることがあったのか。
私は、90歳半ばを迎え、なおおしゃべりがしっかり楽しめて、ユーモアがあって、人にほどよく頼ることもできるこのおばあちゃんが、たとえ「認知症」と診断される状態であっても、それにとらわれることなく暮らすことができるだろうし、その方がずっといいなと思った。そして、まだ多くの人が認知症にネガティブなイメージや偏見をもっていることへ、ほんの少し抵抗したかった。認知症があってもなくても、あなたがあなたであることは変わりないですよと言いたかった。これは言葉足らずで言えていないことだが。
でも、もしかしたらおばあちゃんにはおばあちゃんなりの、気がかりがあったかもしれない。

「心配ですか?」と、一言声をかけてみればよかったと、今さらになって思う。

2024年6月28日 書く

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