法華専修と日蓮聖人の本懐

これまで、日蓮正宗や創価学会に見られる教学の独善性、排他性について述べてきたが、世間一般では、正宗系の宗派に限らず、日蓮系教団は大なり小なり、そうした傾向を持っている、という認識を持たれているのではないだろうか。

確かに、「法華専修」は宗祖以来の伝統でもある。

日蓮聖人の遺文には、「不受余経一偈」という、法華経の中にあるフレーズを拝借して、門下に襟を正すことを促す箇所がある。

これは、余経、つまり法華経以外の教えを、ただの一偈も受けざれとして、上記の「法華専修」を強く促すものである。

ただし、この「法華専修」も、日蓮系教団の歴史を概観すれば、権力や周辺社会と対峙する中で、様々な妥協や折り合いを余儀なくされ、或いは自ら進んで変化を受容してきた、という経緯がある。

そうした中で、この不受(ただの一偈も受けざれ)という形での法華専修を、一分の妥協もせず、様々な圧力や迫害、妨害に見舞われながらも、長い間遵守していたグループも存在していた。

彼らは、豊臣秀吉や徳川家康といった時の権力者に対してさえも、その頑なな態度を翻すことが無かったため、流罪や禁教等の重い処遇を受け、一時期は歴史の表舞台から姿を消すこととなった。

秀吉や家康のように、法華信仰とはほど遠い権力者が主催した法要に参加することは、つまり法華信者では無い者達からの供養を受けること意味し、「余経の一偈も受けざれ」を掲げる宗祖以来の伝統的法華受容のあり方に抵触するからである。

その意味では、宗派の存亡がかかった苦渋の決断とはいえ、法華専修を貫けず、権利側の言うままに法要参加に応じた方のグループは、圧力に屈して宗祖の遺命に背いた、という誹りを免れ得ない。

宗祖以来の伝統を受け継ぐ立場として、どちらの態度がより誠実であったか、と問われれば、不受を純粋に貫いた側に軍配が上がるのは論を待たないことであろう。

しかしながら、その「不受」を貫けなかったグループは、果たして日蓮門下としての存在意義を完全に失ったのであろうか。

私は否である、と考える。

そもそも、「不受余経一偈」とは、法華経の経文の中で、法華経を説くべき相手はどういう資質を備え持った人達であるか、ということをブッダが直弟子(舎利弗尊者)に説いている文脈で出て来る言葉である。

その中で、「余経をただの一偈さえも受けないこと」が法華経を説かれるに相応しい資質の一つとして挙げられているが、思うにそれは、法華経以外の「大乗経典」で、ブッダの直弟子達が、「決して成仏出来ない者達」として嫌われていたことと関係があると考える。

「大乗仏教」とは、言うならば、ブッダが入滅されてから、100年以上の時を経て仏教の中で起こった宗教改革であり、ブッダの教えと教団の伝統を継承し、守り続けていた高僧達が陥っていた問題、悪弊を鋭く指弾する側面を持っていた。

歴史的事実を反映しているものでは恐らく無いが、ブッダが、教えを忠実に守り継いで来た筈の直弟子達に、「汝らは決して成仏出来ない」と指弾するという構図を借りて、そこに仮託された伝統仏教の担い手達が抱えていた悪弊や問題点を指摘する。

これに対して法華経は、そうした「大乗」の立場を基本的には踏襲しつつ、同時に、伝統的な仏教を遵守していたグループとの宥和を指向する。

ブッダが、様々な経典で説かれたことの真意を明らかにする過程で、「成仏出来ない」と指弾したことを、ブッダ御自身の言葉で挽回させる、という構図を持っている。

法華経で説かれたことこそがブッダの真意であるとすれば、「余経」は、その真意が明かされる為のプロセスである。プロセスはプロセスとして必要なものではあったが、真意が明かされた今は、そこで述べられた言葉の一つ一つに拘泥していたはならない。それが、すなわち「不受余経一偈」ということなのではないか。

大乗経典が持っていた、伝統仏教に対する批判精神は温存される。その一方で、批判相手に対して取られた不寛容な態度については撤回される。何故なら、どのような悪人であれ、罪人であれ、見捨てることなく無上の道に導くのが仏である。その仏の真意を改めて明確にすることが法華経の立場だからである。

上記のことを鑑みるに、不受の立場を貫かんとして、権力側に弾圧され、禁教の扱いを受けて歴史の表舞台から姿を消したグループは、果たして、その「仏の真意」を完全なまでに体現した、と言い得るだろうか。

宗祖の意志を継ぐとしながらも、その一方で、批判精神に拘泥するあまり、法華経の生命線とも言える、融和的指向・差別を撤廃した無量の慈悲を、人々に伝える機会を逸してしまっているのではあるまいか。

しばしの間、表舞台から姿を消したことで、法華経によって明かされた様々な重要事……ブッダの「分身仏」の存在。ブッダと分身仏の関係によって暗示された、ブッダとブッダ以外の諸仏の関係(本仏である釈迦牟尼如来と諸仏の関係)。延いては法華経と余経の関係。仏とは何か?何故、様々な時代、様々な世界に仏は存在し、人々の眼前に現れて法を説かれるのか、何故ブッダが入滅された後も、様々な経典が紡がれ続けるのか……といったことを、人々に知らせる、人々の目に触れさせる機会を逸してしまったのではないか。

「不受余経一偈」よりも何かよりも、法華経の流布こそが宗祖の本懐だったはず。彼らの強い信念と不屈の精神に対しては、並々ならぬ尊敬の念も覚える一方で、結果的には禁教の処遇を招く要因となった頑ななまでの法華専修は、果たして正しい選択だったのであろうか、とも考えてしまう。


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