あわしま・かわたれ日記(1)「粟島の倍返し」 

 私の家は民宿だ。夏は年で一番観光客が来る時期である。お客さんが持ってくるお土産のお返しに、母はじゃがいもやキャベツ、父は魚を、到底一人では食べられそうもない倍のお土産を帰りに持たせる。父と母は人への親切は廻り廻って自分たちに返ってくると信じている。いや、自分たちにたとえ返らなくてもその人たちが喜んでくれさえすればいいと思っている。
 ある日の夕方、玄関から声が聞こえたので向かうと、そこには重いリュックを背負い、汚れたTシャツを着て、破けた古いジーンズをはいた一人の若者の男性が立っていた。
「すみません。」
私は恐る恐るその男性に返事をした。
「はい…。」
「突然申し訳ありません。食事はいりません。素泊まりでいいので一泊泊めていただけませんか。」
突然来るお客はいるけれど、素泊まりで泊まるお客は珍しかったので戸惑った。
「少々お待ちください。」
私はそう告げて、慌てて台所にいる父と母のところに向かった。
「父ちゃん、母ちゃん、大変だよ。」
「何さぁ。」
サザエを焼いている母が言った。
「若い男の人が来て、泊めてもらえないかって。素泊まりできるかだって。」
「素泊まり!?」
父も驚いている。
「どうするの?」
私は二人に尋ねた。しばしの沈黙の後に母は言った。
「一人ぐらいいいよね、父さん。」
「うん。まぁな。」
台所から母は玄関に立っている男性のところへ早足で向かった。
「突然すみません。素泊まりで一泊だけ泊めていただけませんか。」
申し訳なさそうな表情で懇願する男性に母は笑顔で返した。
「いいですよ。どうぞ。」
「本当ですか!?ありがとうございます!!」
男性は深々と頭を下げた。
「さぁ、どうぞ。」
母は男性を中に入れ、私は二階の部屋へと案内した。小学生の私にも
「ありがとうございます。」
と深く頭を下げた。
 私は下に降りて、いつも通りに夕飯の準備にとりかかる。すると、母が押し入れからお膳を一つ取り出し用意をしてまた台所に戻って行った。私は不思議に思って、後を追いかけて尋ねた。
「あのお客さんのなの!?。素泊まりだから食事はいらないはずだよ。」
母は人差し指を唇に付けた。父は刺身が入った皿を私に差し出して、
「いいから持って行け。」
と言い放った。
全ての料理が盛られたお膳を私が男性の部屋へ持って行くと、
「えっ!?何ですかこれ!?」
と、声を上げて驚いていた。
「父と母からです。お金はいらないそうです。」
と、説明すると
「本当にありがとうございます!!」
と、今にも泣き出しそうな顔をして何度も頭を下げた。
 翌日、再び何度も何度もお辞儀をする若者に、
「こんな島に来てくれたお礼です。また遊びに来てください。」
と玄関で見送る母と父の笑顔。見ている私の心がなんだか温かくなっていくのを今でもはっきりと覚えている。人生において大切なことは人のために尽くすこと。そうした親の生き方を見て、これから歩むべき生き方を学んだ気がする。あの時代、夏が来るたびに私は、親のそんな姿を見て成長していたのだろう。今でも夏に帰ると母は相変わらず、お客さんに倍返しをしている。変わったのはあの頃より母の背中がだいぶ小さくなったことと、父が寝たきりになってしまったことだ。


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