ボナホンペスタ (粟島 小説)  

新潟県の日本海に浮かぶ粟島出身のクリエイターです。医者もない、警察もない、コンビニもな…

ボナホンペスタ (粟島 小説)  

新潟県の日本海に浮かぶ粟島出身のクリエイターです。医者もない、警察もない、コンビニもない…何もないはずの小さな粟島には人が生きる上で忘れてはいけない大切なことがたくさんありました。それらのことを小説にして少しでも多くの人たちに知っていただけたら幸いです。よろしくお願いします。

最近の記事

あわしま・かわたれ日記(9)「お弁当の日」

 大学4年生のときに私は島に教育実習に行った。私が島に住んでいたときは自宅に帰って昼ごはんを食べていたのだが、その時代とは違ってお弁当になっていた。 「昔は昼休みに家に帰って食べていたけど、今は違うんだね。母ちゃん、これからお弁当頼むね。」 「あいよ。」  次の日の昼休み、みんなで調理室に集まった。 「みんな、どんなお弁当なのかな。」 「先生、これ食べる!?」 「おう。ありがとう!!」  ひととおりみんなと会話をして、食事の席に着いた。そして自分の弁当を開けたとたん、びっくり

    • あわしま・かわたれ日記(8) 「8月15日」

       寅吉(トラキチ)、私の大好きな祖父である。祖父は優しくてかっこ良かった。戦争が終わって帰って来た時の話がじいちゃんの兄弟の中で話題に上がっていたことがあった。  じいちゃんの妹ヒデ子おばちゃんと兄妹の末っ子久子おばちゃんが笑いながら話した。 「アニキは戦争が終わってすぐには帰ってこなかったんだよ。」 ヒデ子おばちゃんは言った。 「そうなの。だから私ら家族も島の人もみんなアニキが死んだと思っていたんだよ。」 続けて久子おばちゃんが言った。 「えっ!?死んだと思ってたの?」 「

      • あわしま・かわたれ日記(7) 「スプーン曲げ」

         私と父は超能力、UFOといったたぐいの話が大好きだ。中学生の頃、そういった番組があると二人でよくテレビにかじりついていた。当時、超魔術師と名のっていたMr.マリックがスプーン曲げをして、日本中大ブームとなっていた。  いつものようにテレビを見ているとMr.マリックが現れた。 「父ちゃん、Mr. マリックがテレビに出てるよ。早く早く!!」 興奮して2階の階段から1階にいる父を呼ぶ。 「どれどれ。」 父が急足でやって来る。 「それではこれからスプーンを曲げます。」 Mr.マリ

        • あわしま・かわたれ日記(6) 「FAX」

          「もっとやりとりうまくいく方法ないもんかね。」 民宿で旅行会社とのやりとりがスムーズにいかず母は困った様子だった。携帯もインターネットもない時代にたくさんの人たちは離れた人と電話のみで相手とコミュニケーションをとっていた。  母が困っている側で漁から帰った父がイビキをかいて寝ている。 「父ちゃん、父ちゃんってば!!昼ごはんだよ。」 私が父の体をゆすって起こそうとするが、一度転がった大きな岩はびくともしない。 「もう父ちゃんってば!!」 私の声は父のイビキによってかき消される

        あわしま・かわたれ日記(9)「お弁当の日」

          あわしま・かわたれ日記(5) 「授業参観」

           お昼時間、いつものように家に向かう。当時、粟島の小中学校は給食がなかったのでお昼になると家に帰ってお昼ご飯を食べる。 「そう言えば今日授業参観なんだけど、来る?」 「お父さんが行くよ。」 母が言った。ご飯を食べながら父がうなずく。 「そうなんだ。」  学校に戻り、掃除が終わって自分の席につ着くと隣りのミカさんが聞いてきた。 「マサヨシくん家、誰か来る?」 「たぶん、父ちゃんかな。」 「ミカさんは?」 「お母さんかな。なんかちょっと恥ずかしいね。」 「うん。わかる。なんかね

          あわしま・かわたれ日記(5) 「授業参観」

          あわしま・かわたれ日記(4) 「ハレー彗星」

           1986年、日本はハレー彗星で一色だった。テレビをつければハレー彗星のニュース、新聞ではハレー彗星の特集で日本全国が大いに盛り上がっていた。ハレー彗星とは約76年周期で地球に接近する短周期の彗星である。  当時小学3年生であった私もテレビなどのニュースに触発され、ハレー彗星に夢中になっていた。 「マサヨシ、誕生日おめでとう。これ、プレゼント。」 母が取り出したのは小さな望遠鏡だった。 「えっ!?本当にいいの!?」 「うん。」 「ありがとう。」 島にはオモチャ屋はない。だから

          あわしま・かわたれ日記(4) 「ハレー彗星」

          あわしま・かわたれ日記(3) 「家宝」

           我が家には家宝はない。テレビで品物を鑑定する番組を見るたびに、父は  「うちには何にもないな。」 と口癖のように言っていた。  高校生の夏、寮がある浦佐からふるさと粟島へ戻り玄関を開ける。 「ただいま。」 「マ~・サ~・ヨ~・シ~。」 あきらからにいつもの父とは違う嬉しそうな声だ。 「父ちゃん、何でそんなに嬉しそうなの?なんかあった?」 「実はな…。」 「何だよ父ちゃん、もったいぶって。」 「実はね…。」 「だから何だよ、父ちゃん。」 「聞きたい?」 「

          あわしま・かわたれ日記(3) 「家宝」

          あわしま・かわたれ日記(2) 「幸せのコロッケ」

           小学生の頃、私はネコ舌だったのでどんなものでも冷まさないと口にすることができなかった。民宿で残ってしまった冷や飯を母ちゃんが食べようとすると 「それちょうだい。」 と、言ってはご飯をお願いしていた。 「もう冷めて固くなってるよ。」 「いいんだよ。それがおいしいんだよ。」 そう言って私はおいしくご飯をいただく。  当時、島では給食がなく昼ご飯は家で食べることになっていた。ある日の昼休み、いつものように午前中の授業が終わり昼ごはんを食べるために帰宅し、玄関を開ける。

          あわしま・かわたれ日記(2) 「幸せのコロッケ」

          あわしま・かわたれ日記(1)「粟島の倍返し」 

           私の家は民宿だ。夏は年で一番観光客が来る時期である。お客さんが持ってくるお土産のお返しに、母はじゃがいもやキャベツ、父は魚を、到底一人では食べられそうもない倍のお土産を帰りに持たせる。父と母は人への親切は廻り廻って自分たちに返ってくると信じている。いや、自分たちにたとえ返らなくてもその人たちが喜んでくれさえすればいいと思っている。  ある日の夕方、玄関から声が聞こえたので向かうと、そこには重いリュックを背負い、汚れたTシャツを着て、破けた古いジーンズをはいた一人の若者の男性

          あわしま・かわたれ日記(1)「粟島の倍返し」