あわしま・かわたれ日記(2) 「幸せのコロッケ」

 小学生の頃、私はネコ舌だったのでどんなものでも冷まさないと口にすることができなかった。民宿で残ってしまった冷や飯を母ちゃんが食べようとすると

「それちょうだい。」

と、言ってはご飯をお願いしていた。

「もう冷めて固くなってるよ。」

「いいんだよ。それがおいしいんだよ。」

そう言って私はおいしくご飯をいただく。

 当時、島では給食がなく昼ご飯は家で食べることになっていた。ある日の昼休み、いつものように午前中の授業が終わり昼ごはんを食べるために帰宅し、玄関を開ける。

「ただいま~。」

「おかえり。」

座敷の戸を開けると、そこには揚げたてコロッケが。

「作ったばかりだからおいしいよ。冷めないうちに早く食べて。」

と母が言った。

「揚げたてなの!?オレネコ舌だからなぁ。」

そうへこんで返すと、父が

「いいから食べろ。」

と一喝した。

ネコ舌の私はふぅふぅ言いながらそのコロッケを口にする。やはり熱い。すぐ食べるには熱すぎる。ホフホフ言いながら、のどの奥へ水と一緒に流し込む。そうした格闘を経て学校に戻ると先生が

「マサヨシくん、今日のお昼ご飯は何だったの?」

と、聞いてきた。

「今日は揚げたての熱いコロッケでした。」

「良かったね。」

「いえ、コロッケはいいんですけどオレはネコ舌だからあんまりよくなかったんです。」

すると先生が優しく私に語りかけた。

「マサヨシくん、温かいコロッケを食べられることは幸せなことなんだよ。」

「幸せ!?あったかいコロッケが!?」

「そう。あったかいコロッケが。」

先生はずっと笑顔だった。

 当時の私はこの言葉の本当の意味がよくわからなかった。高校で親元を離れての寮生活。さらには県外を出て、大学や職場に通うため一人暮らし。そうした経験を通して、大人になってあのとき先生が言ったことの本当の意味を知った。『相手に温かいものを食べてほしい』と願うことは、つまり『相手を思い、その人に心から尽くす』ということ。そういう人が身近にいることが幸せなのだ。『温かいコロッケ』は、我が子においしいものを食べて喜んでほしいという母親の心の表れ。それを先生は私に伝えようとして、あのように言ったのだ。

 今日もどこかで温かいコロッケを食べて幸せになっている人たちがいますように。

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