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タイ 第1回 農村の現実

2004年8/28~9/4 タイスタディツアー コンケン市(農村・スラム街・ゴミ捨て場)へ行ってきました。当時行った時の事を文章にして、まとめていた事を思い出しましたので、その感想文の記事を何回かに分けて書いてみたいと思いました。私もかなり懐かしい思い出です。

ボランティア活動は前から興味があり、一度体験してみたいと思っていました。国際ボランティアセンターの中で、ボランティアを募集していたのをきっかけに一度だけですが、参加させていただきました。

タイ3度目、過去2回は観光で訪れていました。タイも富裕層と貧困層で分かれているのは知っていますが、今回は裏の部分だけを見るのですごい興味がありました。

タイへ到着、タイ東北部へ車で移動。段々近づくと牛の姿が目に付くようになりました。NGOの事務所に付き、現地の人達と合流。
ちょうど、今の時期は雨期の為、緑がいっぱいでしたが、乾季になると、灰色の世界になるそうです。(5月~10月雨季、11月~4月乾季)

タイは昔、お米しか作っていませんでした。強いて言えば香辛料を家の周辺に植える程度だったそうです。それが何故今変わってしまったのか。その理由を教えてくださいました。

昔、タイには森がいっぱいありましたが、戦争後、1960年代以降に森林が伐採されました。それはゲリラが潜む可能性のある為、森が焼き払われ、森のほとんどが消滅しました。

人々にとっての森は食・薬草・木材とあらゆる物がありました(食:キノコ、タケノコ、果物、動物、昆虫、野草など)ので、お米だけを作っていても何も問題が無かったのです。

人々は森が無くなってしまったので、食べていけなくなり、そこで30年程前から始めたのが単一栽培(トウモロコシ、キャッサバ、サトウキビ)が急速に普及し始めました。これを近代農業と言うそうです。

農民にとってはすべて初めてのこと。苗、肥料、機材、これらすべてを買う事になります。当然お金もなく、借金をする事となります。

最初の頃は、儲かって上手くいっていましたが、化学薬品を使う為に、土が荒れ始め、痩せた大地へと変化していき、段々と収穫量も減っていきました。

身体への影響も出始めましたが、この化学薬品との因果関係を示す事は未だ出来ていないのが現状です。更に農民は土地を増やし、機材を買っていくので、更に借金をしていきます。

結果、農民はやればやるだけ借金が増えていく状態に。近代農業はお金も物も外へ出て行くだけでした。それから、自給自足・複合農業が少しずつ広まっていきました。

まず、ため池を作りその中に魚、その周りに、木を植え作物を植え、家畜を飼う。そこで採れた野菜を自分達だけでなく、朝市をやる事で、村の中で、物やお金を循環させる事が出来るようになりました。

また村だけでは飽和状態になってきたので、村と村が集まって、町の中で直売市場が中心になっていきました。そうすることで、村と町の交流が出来ました。

近代農業は労働力が必要で、女性は参加出来ませんでしたが、複合農業をやる事によって、朝市という場が出来て、女性、年寄り、子供が参加出来て、社会的な効果が生まれました。

ここのポン郡の村と町の朝市は、有機栽培のみを売っています。
値段は近くで売っている野菜と一緒。高くて買わないと意味がないからだそうです。

ただ、まだまだ人々は健康への意識が薄く、有機にこだわりをもつ人も少ないのが現状です。村人たちが集まり、一つの「貧民連合」を作りました。そして90日間政府の前に座り込みをした結果、政府は複合農業へ転換する人へ3年間の資金援助を決めました。

近代農業は化学薬品を使用するため、作りやすくすぐ出来ますが、段々収穫量も減り続け、お金も借りれば利子も付く。結果どんどん借金が増える。人々は何処かで止めなければ大変な事になってしまうと分かっているのですが、どうする事も出来ない状態という状況でした。

次の日は、共同農園を訪ねました。そこは昔、森でした。農民たちは、この場所を昔の様に森に戻して、皆の集まる憩いの場所にしたいとの思いがありました。

そこで「100年森計画」が始まりました。最初に木を植林したけれども、上手く行きませんでしたので、野菜を作り周りに少しずつ木を植えて増やしていこうと考えました。

4,5年でかなり木が育っていて、森に近い状態になっているのを見て、私は驚きました。農民の人達の努力の結果だと思い感心しました。

次に共同野菜農園を訪ねました。ここの村人たちはやっと田植えが終わって、これからやるというところでした。寒い季節は色々植える事が出来ますが、暑い季節は難しいそうです。

問題が他にもあります。土が砂の様にサラサラで、雨季になると粘土の様になってしまい、野菜作りには適していないそうです。ですが、色んな所へ研修に行き、どうしたら作れるのかを研究されています。

雨季は水浸し、乾季はカラカラ、そういう土地だと最初から知ってはいたけれども、選択肢が無かった。ただ一つ、10年程この土地で化学肥料を使用していなかった事は良かったと仰っていました。

ここの村人たちはとても仲が良く団結しているのがよく分かりました。

森が無くなったことで、人々の暮らしはガラリと変わってしまいました。
この世から意味のない戦争が無くなります様に。

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