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最終回 バンコク クロントイ・スラムへ

9/2 バンコクで一番大きいクロントイ・スラムへ訪問。現地で暮らしている日本人主婦のボランティアの方たちと一緒に見学へ行きました。

ここは昔、泥沼、湿地帯でした。いろんな仕事があるということで、地方からこの場所へ人が集まってきました。現在、家の登録してある人たちは10万~14万人で、20の地区に分かれています。

スラムの中では図書館や教材開発などを提供している、シャンティ国際ボランティアが主に活動されていました。移動図書館もあり、各地方へまわったりしていますが、200か所とかなり多いため、一年に一回ほどしか行けない事もあるそうです。

もう一つ、プラティープ財団があります。プラティープ先生という方がいて、両親が働きに出掛ける時に、誰も面倒を見れなかったり、家庭が貧しくて学校に行けない子供たちがいたので、その子供たちを預かり、文字の読み書きなどを教える「一日一バーツ学校」を創設しました。そして10年という歳月がかかりましたが、公立学校として認めてもらえることが出来ました。

今から28年前(1976年)民主化運動の時代で、活動したり、グループを作ってはいけないという風になっていました。そして1984年に政府に対して要求をしました。まず住民として認めて欲しい。住民委員会を作りたい。住民登録させて欲しい。出生届、水、電気を通して欲しいとお願いすると、なんと政府側は、5年以内に全部立ち退きして欲しいとの事でした。

このスラムの中では、麻薬、エイズ、職、環境など様々に抱えている問題がありました。住民は立ち上がり、活動を始めました。青年グループを立ち上げ、地域活動をし、若い世代を育成しています。共同貯金もあり、スラムの中で循環しています。

女性も、外に働きに行く人、内職の人様々にお仕事しています。ここクロントイ・スラムはコンケン市のスラムとはだいぶ違うと感じました。

クロントイ・スラムには、様々な支援があります。図書館・幼稚園・職業訓練校などの設備が充実しています。コンケン市のスラムは田舎ということもあってか、のんびりと言いますか、スラムなのですが、何処かのどかさを感じました。クロントイ・スラムはやはり都会的で、ゴミゴミしていて、空気も良くないし圧迫感を感じました。一緒だったのは、どちらも線路沿いに家が建てられている事と、子供たちはどちらも同じ様に元気いっぱいでした。

最後に訪れた、オーガニックショップ。そこで働く女性ロサナさんに出会い、お話を伺う事が出来ました。

農民は現金収入が少なく、病院はお金が高くて行く事が出来ません。でも、農民には薬草の知恵がありました。皆の知恵を集めてそれを生かせば自信に繋がり健康が維持出来ます。

最初、政府は薬草に全く興味ありませんでしたが、82年にWHOが、近代医療は高すぎるとのことから薬草の使用を始めました。

例えば火傷した場合、シップ1枚18バーツします。村の収入は32バーツです。火傷した場合シップを2枚買う事が出来ません。ですがアロエを使用すればお金は掛からなくて済みます。

ロサナさんは日本に88年に来日し、半年間過ごされタイへ戻り、有機農業を広め始めました。薬草を町の人に分かってもらう為に、SHOPを作りました。97年の経済危機の時には、薬草を安く買える為、人々が集まって来ました。

すると今度は企業が目を付けてきて、結果値段が高くなってしまいました。

ロサナさんが、人間は自然が無いと生きられないのに、自然をコントロールしようとしていると。お金や名声はあっても不安定、無くても安定している事が幸せだと思いますと仰っていました。

2004年に初めてボランティア活動を経験しました。世の中の貧富の差は今も相変わらずです。お金もいくら目に余る程あっても、心が満たされなければ幸せとは言えません。争いが一切無く、人々の心が満たされる日がやって来ます様に。


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