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20231129 妊娠報告を考える / 夫のことがもう思い出せない

妊娠報告のおめでたい雰囲気と性交渉の話題が秘匿されがちなことの乖離にいつまで経っても慣れなくてモヤモヤしてしまう。性教育の失敗の産物だなあと自らを客観視して思う。これは自分の中のモヤモヤとの戦いなのであっておめでたいこととしては受け取れるのでリアル知人の人は何も気にしないでください、と念のため書いておく。
自分も妊娠して子供産んだくせにモヤモヤしてるのは割とずっと消えない。ぶっちゃけもっと普通にセックスの話とかしてこうよ、みたいな気持ちでいる。もちろん踏み込まれたくない部分があってもいいけど変に隠すことでもないだろうも思う。そういう経験の有無で優劣つける空気も言いづらい原因になっているかもしれない。セックスと妊娠が地続きで教えられないところから始まってたんだよ、妙な空気感の形成は。


夫についての記憶がぶわーっと薄れていくのを感じる。ほんとに数ヶ月前まで生きてたのか?というくらいにぶわーっと。言われたことや話したことは覚えてるけど、写真や映像が頭の中に全然浮かんでこない。最後の1ヶ月の間、病室で見てきた姿があまりに可哀想すぎたからだろうか(人のことを哀れみたくないけど可哀想としか形容できない状態だった)。あの姿を思い出したくないからそれ以前の姿も全て思い出せなくなっているのだろうか。いわゆる、悪いことって良いことより忘れやすいっていうやつ?なるべく悲観的にならないようにしていたけど、やっぱり病気がわかってからの1年、しんどかったんだろうな、わたしは。人のあたたかさに沢山触れたけど、やっぱり病気になってほしくはなかったよ。最後の1ヶ月の姿はみんなに見られなくてよかったんじゃないかなと思う、本当に。
夫のことを大事なものボックスにしまう作業が着々と進んでいる感じがする。いつでも中身を取り出せるきれいな箱。それはそれとしてずっと持ち続けるけど、中に入れるものが新しく増えることはない。わたしは多分、その箱をずっと持ってるだけで満足できるタイプの人間じゃなくて、新しいものとも出会っていきたい。出会うために行動できる人間になりたい。その箱を持っているからこそ、わたしは飛べる。わたしが自分自身に対して遠くに行ける可能性を感じられるようになったのは、間違いなく夫のおかげ。自分でちゃんと考えたことならどこにいたって絶対に応援してくれるはず。


ありがとうございます。