20231107_1 「なんとなく」出産した自分が救われる

bluesky相互の方のシェアで読んだ記事がすごく響いた。

自分自身が子どもを「なんとなく」「好奇心で」産んでみた気持ちが割と大きかったのと、それで結果的に辛い気持ちになっている自分もいて、もっと子どもについてよく考えるタイミングってあったかなあと思うこともしばしばあるのだけど、鴻上さんの回答を受けて気持ちが楽になった。

自分は現時点ではもう今後の人生で妊娠出産はしたくないのだけど、そういう自分と周りのきょうだい持ち家庭を比べてしまって鬱屈とした気持ちになることもあって、でも同じ自分がやった場合の良し悪しは永遠に比べられないんだからもういいやーといい意味で投げやりにもなれた。今の人生、結婚しない人生、子どものいない人生、子どもが2人以上いる人生。そりゃあどれも同じ自分としては比べられないんだから何にもわからないよねー!って、頭の中で大の字になって原っぱで寝てる。これまでどこか鬱屈とした気持ちがあったけど開き直りへ一歩近づけそう。

あと、そろそろ子どもをもうけてもいいかなーと夫婦で思ってから実際できるまでの期間が短かったので、自分の子どもに対するドライな態度をそれと結びつけてずーんとなることもあった。子どもができるまでに苦労した方が子に対する気持ちって育つのだろうか、みたいな考えから。不妊治療をがんばっている・がんばってきた人たちに対して失礼なことは百も承知だし、実際はそうでないことは知っているのだが、自分の育児の向かなさ・できなさに理由を見つけたかったんだと思う。

子ども産まない方がよかったのかなあと夫の前で言ったこともあるけれど、「自分は子どもがいてよかったよ」と夫はためらいなく言ってくれていたので、夫に限らず別に誰かのために産んだわけではないけどそれがわたしにとっての出産に対する答えでいいやと思っている。

ありがとうございます。