見出し画像

20231103_2 若気の至りみたいな恋愛

大学1、2年あたりに書いていた日記を読み返したら、恥ずかしくなるくらいしっかりと若気の至りみたいな恋愛をしていてウケた。わたしは恋愛感情がよくわからない人間だと思っていたけど、昔のことすぎて覚えていないだけでちゃんと思い悩んでいて、なんか安心したっていうか、そういう自分の存在が残っててよかった。

そして人間性がめちゃくちゃ変わっててこれもまたウケる。昔に比べると今はすっごく潔い人間になってる。そりゃ大学の後輩に「顔つきがなんか違う」とか言われちゃうわけだよ。今の自分の方がぜんぜん好きだし夫にもそう言われていたので自信を持って突き進むよ。

出会った当初、当時付き合っていた人(後に夫となる人)には「もっと自分の意見を主張しろ」と言われていたが、振り返るとわたしは自分の世界に閉じこもって完結していたので主張もクソもなかったんだと思う。わたしは自分がどう見られるかをすごく気にする人間で、夫のことも好きだから嫌われないようにと思って何にも言えなかった。その時既に夫としてはそういうのは全く求めていないことを理解できていなかった。何かを我慢する関係性が健全じゃないと感覚的に知っていたんだと思う。嫌われたくなくて取っていた行動でわたしは嫌われそうになっていた。今なら自然にそれがわかる。

昔の日記を読んで、人と恋愛的な意味で付き合えばちゃんと恋愛的な感情を持ちながら付き合えていたことがわかった、というか思い出せた。ただやっぱり、恋愛感情を抱いた人に対して付き合いたいと思うかというとそれは微妙で。単に関係性が壊れるのがこわいだけかもしれないけど。予定では人生はまだ長いし、この辺の感情と折り合いをつけつつ、運よくパートナー的な存在ができたらいいなーと思う。認めることに少し恥じらいがあるが、夫と一緒にいるうちにずっとひとりでいるのが寂しい仕様になってしまった気はする。ただ、結婚はもうしたくないというのは割と確固たる意志としてある。結婚するのは夫だけでいい。わがままだろうか。でも結婚だけがパートナーシップの全てじゃないよなあ。


ありがとうございます。