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アラフォー徒然草:息子と話す

父親と自分

父親は去年他界した。特段、仲が悪いわけでもなかったし、さりとて、友達のように何でも話せる仲というわけでもなった。父親という立ち位置に加えて、若いころは反発と、大人になってからは気恥ずかしさで、距離感が保たれていた。きっと、物心つく前は、もっと素直に仲良かったのだろうけれど、そのころの記憶があまり思い出せない。中々に親不孝者である。

だから今になって父親を思い出すと、もと腹を割って色々話せばよかったなあなんて、思えてくる。

息子と自分

そんな自分は、これを書く直前まで、息子ととりとめもない会話をしていた。今日は、自分の小さかった頃に、無理を言って高かったパソコンを買ってもらった話をした。子供も素直に話を聞いてくれた。

父親と息子は、こんな風に楽しく話せるものなんだなと、静かに感激する。父親といろいろと話したりなかった分、息子とは話しておこうと思う。息子が大きくなっていけば、忘れさられていくのかもしれないけど、そうだっていい。

言葉で、映像で覚えていなくたって、なんだかんだ伝わってるものはあるんだろなんて割と本気で思う。自分は最近、どんどん父親に似てくるねなんて奥さんから言われるし。

こういう感覚になるのも、長く生きててよかったと思うことです。

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