実写版アリエルのお話

こんにちは。おこめです。
noteを始めた最初にどの話題について書こうか。迷わずこの話題が頭に浮かびました。
ずっと思っていたけれど、誰に話すでもなかったことです。

・世界中の女の子の憧れアリエル

みんな大好きディズニーアニメーション。その中でも大人気のプリンセスストーリー、『リトルマーメイド』。
アンデルセンの『人魚姫』を原作に、ジョン・マスカーとロン・クレメンツが監督し、1989年に公開され、世界中で大人気となりました。

あらすじとしては、好奇心旺盛な人魚姫アリエルが、海の外の世界に憧れ、人間の王子エリックに恋をするお話です。
王である父トリトンの反対を押し切り、海の世界からでたアリエルは、エリックに恋をして、海の魔女アースラと契約をします。美しい歌声と交換に人間の足を手に入れましたが、アリエルには様々な試練が襲いかかります。しかしそれを乗り越え、父も二人の仲を許して、エリックと結ばれるというプリンセスストーリーです。

それ以前のディズニープリンセス、白雪姫・シンデレラ・オーロラ姫、とは違い、自分で力強い意志を持って親から自立し、自らの幸せを掴もうとする強いアリエルの姿は、新鮮で、多くの女の子の憧れのプリンセスとなりました。

しかし、親の決めた人生に歯向かう姿や、アリエルが当時差別されていた赤髪であることなどで、多くの社会的議論を呼んだ作品でもあります。


・アリエルに人種はあるのか

そして、ここからが本題です。

そんな『リトルマーメイド』が実写映画化されることになったのです。

とても歌がうまくて可愛くて、皆の憧れのアリエルに誰が配役されるのか。

実写化が発表されてから、皆思い思いのアリエル像にあった女優さんを挙げて、発表を今か今かと待っていました。
クロエグレースモレッツ、テイラースウィフト。
アリエルっぽい女優さんの名前がネットには溢れかえっていました。

そして、7月。
ついにアリエルの配役が発表されました。

アリエルに選ばれたのは、アフリカ系アメリカ人歌手ハリー・ベイリー。
誰もが予想していなかった配役で、ネットは大盛り上がりでした。
ベイリーは歌唱力に定評があり、選ばれた理由もそれです。

才能で選ばれたと喜びの声がある一方、アリエル役に肌の色がアニメと違う女優が選ばれたということへの疑問や反対の声も多く上がりました。

この件について私は、疑問に思いました。
アリエルって何人なの?

アリエルは人魚であるため、何人かは明記されていません。
しかし、アンデルセンの話であるため、白人系であるデンマーク人だというイメージをもたれていて、アニメーションでのアリエルは白い肌に赤髪が映えているというのが特徴的でした。
そんなアリエルに、暗めの肌の黒髪の女性の配役がされたのです。人種差別というよりも、ネットは実写なのに見た目が全然違うと非難轟々でした。Twitterでは#NotMyArielというタグまで作られました。

と言ってもアリエルは人間ではないため、人種はないはずです。
だから、この件に人種的な論を持ち込むのは無駄です。

ではどういう論点で考えるべきなのでしょうか。

・過度な配慮?逆差別という言葉

ここからの考え方は、私の超個人的意見です。
異論もたくさんあると思います。ただの大学生の一意見です。

近年、少しでも差別的な表現をすれば叩かれる世の中です。

最近では#MeToo運動が話題となりましたが、今まで弱者的扱いを受けてきた立場の人たちは、インターネットの普及、SNSの普及によって簡単に声をあげることができるようになりました。
とても有意義だし意味のあることだと思います。

しかも匿名で。
noteだって匿名で簡単に意見を言えるフィールドです。
私も今その恩恵を受けて書いてます。

しかしその匿名の声の力はとても強く、影響力が強くなりました。
有名人、企業など、今まで声が大きかった立場の人々はその匿名の声を恐れるようになりました。
叩かれたらおしまいですからね。

弱者的扱いを受けていた人たちは、平等に扱われるべきです。
しかしそれは平等に扱われるべきであって優先して扱われるべきではないのです。

過度に批判を恐れて、優先することで、私たちはきちんと弱者のことを考えているという、いわばイメージの向上のために弱者を利用するという過度な配慮が増えている気がします。

そんな中で、私は逆差別という言葉に出会いました。

Wikipediaによれば、逆差別とは、”差別を是正し撤廃しようとする過程において、差別されて来た集団(主に社会的弱者)を優遇すること”により生じる差別だそうです。

この考え方を理解した上で、今回のアリエルの配役のお話を考えてみましょう。

個性として肌が白いというイメージをもたれている役に、肌が黒いという個性の女優を起用する。

差別がないのなら、同じフィールドで争うのなら、原作のキャラクターにイメージが似ている女優が選ばれるはずです。顔のパーツが個性なら、顔の肌の色味も個性であるはずです。

それを、原作と似てない、と批判を受けることがわかっててわざわざ批判を呼ぶ配役をしたことが、私にはちゃんと人種問題に配慮しているよというアピールに見えてしまいました。

これを逆差別というのかなと思ったり。

・最後に

あれこれ言いましたが、配役はともかくとして、私は実写版『リトルマーメイド』、とても楽しみにしています。
ハリー・ベイリーが歌う、"Part of your world" 絶対素敵です。
公開が待ち遠しいです。

そして、なぜこれを今更書こうと思ったか。

プリンスである、王子エリックの配役発表でまた話題になっていたからです。

若手イギリス人俳優ジョナ・ハウナー・キングが、エリック役に抜擢されました。

それに対して、エリック役の候補に選ばれていたラテン系アメリカ人俳優、クリスチャン・ナバロが、結局ディズニーは白人を選んだとSNS上で不満を漏らしたらしいのです。さらに、「多様性ってのはただの言葉らしい」とも。

でもこれ、多様性を"配慮"して起用しろってことですよね。
私の頭に、また”逆差別”という単語が浮かびました。

俳優として同じフィールドに立ってそこでただジョナ・ハウナー・キングという俳優が選ばれた。それだけのことなのに、ここに人種の話を持ち込むのは違くない?と思ってしまいました。

みんな最近差別を無くそうと意識しすぎてなんか違う方向に社会が進んでる気がするなあ、といち大学生として思ったりしました。


#追記
 弱者として明らかな格差がある場合、絶対に声を大にする必要があります。しかし、格差を埋めるために声をあげるひとがいるから、だからこそ、企業や個人の都合で多様性とか差別とかいう言葉を使うのは、違うよねっていうことを言いたいのです。

また、差別をなくした結果として、適材適所に人の個性が活かされるべきで、その結果ににけちつけたり、あからさまな配慮してます感は逆効果になりうると思っています。

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