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スペイン語ゼロだった駐妻の3年間

2021〜2023年までの間、
南米のエクアドルに住んでいました。
この記事では、
スペイン語力ゼロから3年後、
のんびり住んでいただけの
私のスペイン語力が
結果どうなったのかについて書いています。


のんびり学習の3年間

スペイン語のレッスンは、
里帰りや旅行などで、
短期間お休みすることはあったけど
基本的に滞在中の3年間、
週1回のペースで受けていた。

本当は語学学校に通いたかったけど
わざわざ南米の治安の悪い
都市であるグアヤキルに
スペイン語を学びに来る人はいない。
そんなわけで学校はなかったので、
オンラインで学習していた。

オンライン学習でも
スペイン語圏に住んでいるんだし、
「結構、上達したんでしょう〜」と
言われそうだが、
家にいることが多く、
単調な日常生活の中で
私が関わる人は定着していたので、
習ったことをフルでアウトプットする
ほとんど機会はなかった。

私の普段の生活では
「買い物」「美容室」
「家政婦さん」「タクシー運転手」
「庭師さん」「ZUMBAクラスの仲間」
「愛犬かかりつけの獣医さん」
と意思の疎通がきれば問題なかった。

たまに夫婦同伴でパーティや
イベントに招待されることはあったけど
相手が英語を話せるか
夫が一応、スペイン語が話せるので
困ることはなかった。

とはいえ、スペイン語ゼロでエクアドルに
来た時に比べると、格段に理解できるように
なった。

語彙力が足りないので、
高度な会話はできないけれど
馴染みの美容室や商店で、
簡単な会話はできるようになったし、
リスニングはだいぶ上達したように思う。
病院に行っても
医師は英語が話せるし、
大きな問題はなかった。

「まぁ、これくらいできれば
困らないしいいんじゃね?」なんて
思っていたけれど、帰国直前になって
猛烈に後悔した。

大事な「感謝の気持ち」が伝えられない

エクアドルを離れる一年前くらいから
近所の商店のお兄ちゃんが
私のことを
「オキナワ〜。オキナワ〜。」と
呼ぶようになった。
それもこれも、
「お前どこから来た?」と聞かれ
「ハポンのオキナワというところだよ」と
言うと、それ以来、ちょくちょく
「オキナワはビーチが有名なんだろ」
「昔は王様がいたんだろ」
「(カラテキッドの)ミヤギが
 住んでいたんだろ」
と言ってくるようになった。

私の出身地のことを
興味持ってくれるなんて
嬉しかった。

でも私の会話力が足りなくて、
せっかく興味を持ってもらったのに
深い話はできないまま、
帰国の日を迎えた。

でも私の会話力が足りなくて、
せっかく興味を持ってもらったのに
深い話はできないまま・・。

帰る前日にスーパーに行き、
店員の皆さんに
「明日帰ります。
今までどうもありがとう。」と
涙を堪えながら伝えたら
「おぉぅ〜。寂しくなるぅ。」と
言ってくれた
(全員とハグしたかったが、
できなかったのが心残り)

エクアドルを離れる前日には
ZUMBAのアミーガたちが
私のためにサプライズギフトを
準備してくれて
感謝の気持ちを伝えたかったけれど、
泣きながら「Gracias」と伝えるしか
できなかった。ZUMBAの仲間は私の
スペイン語力も多少の性格も
わかってくれていたので
別れを惜しんで泣いてくれた。

お世話になったタクシー運転手や
やめた家政婦さんまで
わざわざ会いに来てくれた。
みんなにたくさん、
心を込めて
ありがとうを言いたかったのに
感じていることの半分も
伝えられなかった。

この時に
スペイン語をきちんと勉強
しなかったことを
猛烈に後悔した。

駐在中に必要な語学力とは?

生活するには困らないくらいの
スペイン語は覚えたけれど、
心で感じていることを
できるだけ言葉に乗せて伝えるほどの
語学力はできなかった。

夫のように
ビジネスレベルまで
上達させる必要なないけれど
やっぱり「買い物ができるレベル」程度では
外国人で言葉が流暢でない
私を支えてくれた人たちと
多少なりとも心が通じ合える会話はできない。

今更だけれど
簡単な出来事とか、感謝日記をスペイン語で
書いておけばよかったな〜と後悔した。
普段、感じたことを書いて覚えていれば
会話にも使えたし語学力もアップしていたかも。

エクアドル滞在時にお世話になった
方々のことを思うたび、
そういう後悔が出る。

私のほろ苦い経験が
今後、家族の帯同で外国に行く方の
参考になれば嬉しい。



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