“子どもの頃“に与えてもらえなかった事は一生の傷になる。

どういう書き出しをすれば良いのか、、、悩んだのですが‥良い書き出しが思い浮かばなかったので、そのままの文章を綴ります。

タイトル通りです。

今、私はどうやら過去の自分と向き合うべき時にいるようです。


思い出せば、出てくる出てくる‥

子どもの頃の嫌だった思い出。

わんさかあってキリが無いのですが、一言で言えば「子ども時代の親からの愛情不足」

ここ、大事です。

なんやかんや、貧しくても親からの愛情をしっかり受けて育てられたら、子どもは大人になっても安定した人間になるのだと思う。

私はと言うと、逆でした。

まず、母親に服を買ってもらった事が無い。買ってくれるのはいつも、大好きなおばあちゃんでした。

母親と談笑した事が無い。笑顔で会話をした事が無い。思い出の中の私の表情は、いつもこわばっています。

母親の金切り声と、父親の怒声だけが耳に残っています。そんな記憶しかない。

母親はいつも不安定で守銭奴のような人間だった。プライドだけが一人前だった。


一つエピソードを上げようか。

私は誕生日にも、クリスマスにも、親からプレゼントを貰った事なんて無かった。

そんな高校生の時のいつもの誕生日にですよ‥父親が「ヘアアイロン」を買ってくれようとしたのです。

どんなに嬉しかった事か。

ただ、結局「ヘアアイロン」が手に入る事はありませんでした。

母親が「そんな物、必要ない!」と言って、反対したからです。

第三者から見れば、これは些末なエピソードに見えるでしょう。

自分にもそんな事あった、いつまでそんな出来事を引きずっているんだ!と怒られるかも知れません。

けどね、物を与えられるのが普通じゃない家庭で育った子にとって、こんな話は一生心の傷として残るものなのです。

物=愛情な訳では決してありませんが、子ども時代においては、この方程式が正しいのでは無いかと思ってしまう。

そして、家庭が狂っていれば狂っているほど、物に執着するようになってしまう。

それが逃げ道だから。

親にぶたれようと、「自分は〇〇してもらった、だから愛情はあるはずだ」と、特に分かりやすい“貰ったプレゼント“に思いを馳せてしまうのです。


子どもの頃に、正常な愛情を受けて育たなかった子は、その後の成長過程で、どこか歪んでしまうものだと私は思っています。

愛情を与えられるべき時に、然るべき愛情を貰えなかったら、大人になって酷く苦しむ事になる。

そして、その傷はなかなか癒えるものでは無いのです。

大人になってどんなに周囲に恵まれようとも、本人は満たされる事が無いのです。


でも、一つ希望はあると思います。


「親以上の大きな存在となる、大切な誰かを見つける事」


これが、唯一無二の救済措置となるのでは無いか。


私はまだ見つけられていません。

なので、心がなかなか安定せず非常に辛いです。

守るべきものを見つけられた時に、人は強くなるのでは無いか、、とは、昔から言われてきた人生における答えだと思うのですが‥。

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