寂しがる人に私は、どら焼を焼く
人は幼少期の接され方で、感情を上手く出せるかどうかが決まるんじゃないかと思います。
大学生の頃、幼児教育も学びました。
どれだけ幼児期のうちに様々な感覚に触れたか、様々な気持ちに出会ったかでその後の性格がおおよそ作られるといって過言ではないんだなと思いました。
幼き頃に、親から邪魔者扱いをされ、家に居場所がないと感じた子。
親もどのように子供と接したらいいのか分からず悩んだのかもしれませんし、親なりの愛は与えていたつもりなのかもしれません。
しかし、寂しいと感じたその子の幼い頃の記憶は寂しいままです。
あとから塗り替えは出来ません。
ふと幼少期のことを思い出して、寂しくなり悲しくなることもあると思います。
でも、目の前を見たら今の自分をとても愛してくれて寂しくないように行動してくれてる人がいる。
その事実だけで少しは救えるんじゃないかと私は思います。
そう思いたいです。
なので、私は寂しがる人がいたら私の目の前では寂しくないようにしてあげたいと思うようになりました。
私が親にしてもらったように
身の回りのものを整頓してもらって
寂しい時にはくっつかせてもらって
お弁当は当たり前に作ってくれて
時にはほっといてくれて
でも必要な時には必ず助けてくれる。
そんなふうに接することのできる人を目指しています。
同じ空間にいる
それだけで、寂しさは薄れると思います。
上手く気持ちを言葉にできないのは、
頭の回転が遅い訳ではなく
この言葉を言うと、相手を傷つけてしまうんじゃないかと先に考えてしまって言葉が発せないのではないかと想像するようになりました。
本来、絶対的な愛を与えてくれる親に対してはなんでも言えなくてはいけないはずです。
それが不満だったり嫌な事だったとしても。
家族に本音が言えないなら誰に言えばいいのか、と私はおもいます。
私は、家族がいることで地に立てている気がします。
圧倒的な安心感と信頼のおかげで人前に立てるのです。
私は、
目の前の人が寂しくないように行動したい。
相手が気づかない方法だったとしてもそういう行動を取りたいと思います。
なぜなら、私自身も26歳にしてようやく親の私を寂しくさせないためにとっていた行動に気づけたからです。
親は意図的にしていた訳では無いかもしれませんが、
それがあったからこそ、私は寂しいと思ったことがありませんでした。これ以上に根拠のあることは無いと思います。
親を、家族を鬱陶しく思えることは幸せです。
それほど近くにいるのですから。
考えが先に出て、自分の気持ちを言語化出来ない、気持ちを心に閉じ込めてしまう人に私は、なんでも話せる人として存在したいです。
寂しい人に私は、どら焼きを焼きました。
その人が大好きなどら焼き。
私がいない家に帰ってきた時でも、私があなたのために作ったものがある、それはあなたがいない間もあなたのことを考えていた証拠です。
回りくどくて伝わらない気もしますが、好きなものが家に帰ったらある、それだけでも幸せを感じられると思うので私は作ります。
どら焼きが「私がいない日にあるもの」という悲しい味覚の記憶にならないように、嬉しい日にも焼きます。
「なぜそんなにも、君が好きでもないどら焼きを作るのか」そう言われるのが、私の夢です。
素敵じゃないですか。
あなたのためを思って作り続けたものがあるという記憶が作られること!
私はもうたくさん安心を頂きました。
安心と信じてるがあるから、地に立てます。
今度は恩返しの番です。
人生は恩返しの時間だそうです。
どれだけ人のためにできるかやってみようと思います。
このような、安定した気持ちかつ人のことを思えるようになったのは、とても成長だと自分自身でも感じます。
今の私がこんなにも安定したのは、間違いなくこのnoteを3年前から読んでくださっている皆さんのおかげです。
自分が発した言葉を、否定されずに受け止めてもらえる。
これがどれだけ難しくて、得ようと思ってもなかなか得られるものじゃないということももうよく分かります。
寂しい人に私は、これからもどら焼きを焼きます。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
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いつか私のどら焼き食べてみてください!
何度も何度も作っているので、本当に上手です。
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