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実家に泊まって自宅に帰って

 三連休初日の土曜日、息子のにっとと一緒に、わたしの実家に泊まりに行った。
 自宅から実家は車で十五分ほどの距離だ。わりと行き来している。そうも特別な「帰省!」という張り切り感もない。ただなんとなく、なんだか自宅のことをやるのが面倒くさくなってしまって、楽をしに行ったのだ。

「ババとおじいちゃんと寝る。ママはあっちのお部屋で寝てね」

 夜も八時半が過ぎて、寝室に布団を敷く手伝いをしながら、にっとはにやりと笑った。

「いいよ。じゃあママの布団はあっちのお部屋に敷くね」

 あっち、というのは、ふすま一枚へだてたとなりの部屋だ。わたしの実家に泊まるときの、お決まりのパターンだった。わたしをたまにはひとりでゆっくり寝かせようとする、両親の計らいでもある。にっとは祖父、祖母にはさまれて朝まで眠るか、なかなか寝つけず結局は「ママと寝る」とふすまを開けてやってくるか……ここ半年、ほとんどふすまが開くことはない。

 この日もしばらく眠るどころかハイテンションに布団の上で戦いごっこをしていたために、しばらくわたしがババ(わたしの母)と一緒ににっとをはさんで寝転ばせた。案外すんなり眠ったあとは、わたしが布団を抜けても気づかなかった。ババも眠り、おじいちゃんもお風呂からあがったようだし、わたしはふすまの向こうに消える。すぐ眠りたい気持ちもあったけれど、せっかくひとりの夜なのだ。存分にスマホをいじり、まだこの家に置いていた漫画を読んで、目がかすみ……はっと飛び起きた。飛び起きた、ということは、寝てしまっていたのだろう。ぐぐぐ、ずぴー、と聞こえてきて、夫のろうすがいびきをかくのも珍しいな、と思った。疲れて爆睡しているのか、はたまた苦しんでいるのか。よろりと立ち上がり、ドアノブに手を……かけられない。かけられるわけがない。そうだ、ここは「吉田家」の自宅ではなく、わたしの実家。ドアノブはない、これはふすまだ。

 父のいびきは昔からのことである。気にすることはない。布団に戻る。また眠る。朝起きてきゃいきゃい遊び、昼食を済ませて自宅に帰った。仕事を終えたろうすはくたびれて帰宅し、一晩ぶりの息子にいつもよりほんのり優しさを増していた。妻にもよくしゃべっていた。

 実家でひとり広々と使う布団より、自宅でにっととぎゅうぎゅう詰めになって横たわる布団のほうが、不思議と背中を吸い寄せる。豆電球の下でにっととぽつぽつ話すうちに、ふわっと宵闇に溶けてしまった。ふとうっすら目を覚ましたのは、ぐぐぐ、ずぴー、と聞こえたからだ。お父さん、もう寝たんだ、と思って少し、混乱した。違う違う、今日は自宅に戻っている。今日こそはろうすが珍しくいびきをかいているわけか。
 疲れているのだろうな、仕事のストレスはもちろん、夕食時にはにっとといつになくはしゃいでいた。あまりひどかったら一旦起こそうと考えたが、いびきはもう一回とどろいて、すぐに聞こえなくなった。すいー、すいー、と規則正しい寝息が、廊下をはさんで向かいから聞こえる。大丈夫、ろうすは元気に睡眠中だ。わたしも再びまぶたを閉じて、朝まで眠った。

 ろうすと一緒になってからは、実家にいてもどこかよそよそしく感じていた。わたしの部屋はどんどん物置きと化し、わたしはお客様の扱いで、気を使われて一番風呂やら新しいいい食器やらが回ってくる。自宅では仲良しカップルの延長で、きゃっきゃとなんでも楽しく笑ってこなしていた。それがいまや……まだ結婚して十年には満たないが、子供も年中組の歳になり、両親もそれなりに年齢を重ねた。相変わらずわたしの部屋は物置きだけど、だんだんと「たまにくるお客様」の扱いも雑になる。というより、お客様ポジションはすっかり一人前になりつつある息子が引き継いでいた。過剰にもてなす対象から外れたわたしはまた、いてもいなくてもいつもそこにいるかのような、実家の一員に戻りつつある。自宅は自宅で、ろうすとはけんかっぽくなることも増え、かわいくいなくても堂々とできるようになり、ろうすはろうすで信じられない態度をぶつけるようにもなった。遠慮がなくなったのだ。

 わたしたちは夫婦だから、血のつながらない他人ではあるけれど、しっかり家族となれている。「わたしたちが一生懸命きれいに繕った家族」ではなくて「雨も雪も槍も雷も降り注いで壊れつつなんだかんだ地の固まった家族」に。自然と時間がそう作ってくれた。だから、実家は実家でいまでもわたしの生まれ育った帰る「実の家」だし、自宅は自宅でわたしの居場所となる「実の家」で、ある。父のいびきにろうすを思い出し、ろうすのいびきに父を思う。どちらもわたしの安らぎの家族。いつも通りに実の家で気持ちよく眠っていてほしい存在。
 生まれたときから家族ができていた実家も、わたしが選んで育てた家族も。一緒くたに月明かりを浴びながら、夜がくればみな眠る。

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