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海岸通りに春が舞う

鳴り止まない通知に、スマホを機内モードにして終止符を打った。

人というのはわがままで、ひとりのときは寂しくなるのに、人といると鬱陶しく感じる。無職になった私は流されるままに予定を入れて、その量に圧倒されて、先回りして疲れてしまった。普段から週末に2つ以上の予定が入っている人は一体どんな心地なんだろう。そもそも、ごはんと、ドライブと、ライブと、旅行の予定をたてることが同時に起こりうるだろうか。流されるままというのは嘘で、働いているときに我慢していた分の遊びだ。自分の欲求に素直にこたえるとこうなる、というのを何度も繰り返してきた。遊ぶために辞めたんじゃない。自分と向き合うための時間を作りたい。

私は政治的にはリベラルで、もちろんフェミニストだ。昔から人権に敏感ではあったが、フェミニズムをしっかりと学び始めたのは留学してから。帰国してからはアメリカと日本の女性の社会的地位の圧倒的な差に憤りを感じ、フェミニズム関連のツイートを頻繁に投稿している。

いつもは他の女性フェミニストと意見を交換しているのだが、先日あるイベントのレポートをしたら男性が引用RTでサポートの意思を示してくれた。私はフォロワーが200人程度の一般人であり、知らないネット上の人との交流も少ない方なので、これは非常に嬉しかった。

それと同時にlikeをくれた他の男性もいた。彼は30代半ばの子持ち男性。どんな気持ちでlikeしたのか気になって思い切って話しかけてみると、彼なりのジェンダー観と経験談を話してくれた。30代半ばの男性というのは私にとっては馴染みのないデモグラフィックで、眠い目をこすりながら新しい意見を食い入るように眺めた。すごく勉強になる内容であるのと同時に、全く知らないところに自分の味方を発見したようで、嬉しかった。突然の心強さ。

男性に限らず、最近はフェミニズム関連のツイートをすると様々な人に読んでもらえる機会が増えた。

ツイッターなんて、アプリを開いている時間の8割は無駄だ。無駄なスクロール、読まなくていい意見と、見なくていい画像。そうやって時間を溶かしていく自分のその行為を忌々しく感じながらも、たまにこうして大きく救われる。

これだから人と関わるのはやめられない。

我ながらバカだな、と思う。

今は重たく感じる予定も、体験するとすべて心が踊る時間になる。知っている。自分の時間がもったいなくて、自分のキャリアに使っていないことに変な後ろめたさを感じて、変なプレッシャーを感じる。けれども、そのよしあしは体験したあとで判断しようじゃないか。無駄な先入観はいらない。やりたかったことをやってみる贅沢のむこうには、予期せぬ出会いが待っているかもしれない。

世の中は、それくらい優しくできている。

written by asumi

(二月共通テーマ:ASIAN KUNG-FU GENERATION「海岸通り」)

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