僕らの足りないもの
オレンジのニット、えんじ色のパンプス、青色のカーテン、ピンクのクッションカバー、ベージュのカーディガン、真っ赤なホーローケトル。
宇多田ヒカルの歌詞ではない。ここ三週間あまりのあいだに私が買い集めたものの一部だ。
ここのところ、笑えないくらい物欲を抑えられない。
先月末、転職に合わせて引っ越しをした。
その前は実家に暮らしていて、さらにその前は一人暮らしだった。実家に出戻る時、家具家電をほとんどそっくり取っておいたので、最低限のものはそろっていたのだが、とはいえ、ところ変われば話は変わる。新たに買い集めなければならないこまごまとしたものがたくさんあった。
……という大義名分を得たことで、物欲への戒めがガバガバになってしまった。有給消化期間という暇にものを言わせ、連日出かけていっては、どっかのショッパーをぶら下げて帰宅する日々。しかも、家具をそろえるという名目のはずが、買っているのはまったく関係ない服やアクセサリーなど、優先順位の低いはずの嗜好品ばかりだ。戒めがガバガバなだけでなく、物欲を向けるべき方角もコントロールできていない。おかげで私の部屋は、服は四着増えたのに洗濯機がなく、クッションが四つあるのにカーテンが足りないといういびつな生活空間となっている。
みみっちいのが、そうして購入するもの一つ一つの単価はそこまで高くなく、個数と回数が多いということだ。こまこまと何度も出かけては、こまこました値段のものを買って帰るということを繰り返している。世の中の人を二つに分けなくてもいいが、例えば一万円あったとして、私は一万円のもの一つを買うより、同じ金額で複数のものを買うことで満足感を得る人間だ。
自分でも安価な人間だなと思うけれどもどうしようもない。吝嗇なのは父譲りで、買い物好きなのは母由来だ。気質の由緒が明確でよろしい。
いま、昨日買ったばかりのシルバーのリングを眺めている。
それぞれ違う形のリボンの飾りがあしらわれた、三つで一そろいのリングだ。それを横に並べて机に置いている。非常にかわいい。文句なしにかわいい。
でもこのリングが私を一番高揚させたのは今この瞬間ではない。値札と一緒に並べられていたのを、ショーケースを開けてもらったあの時だ。
私はそれを、三つセットではなく別個に売っているものだと思っていて、それぞれ違ったデザインのいったいどれを買うか決まらぬまま、ケースを開けてもらった。
「これ、三つでセットです」
店員さんがついでのように言ったその瞬間、私は取捨選択することから解放された。優劣つけがたい三つを、優劣つけずにすべて手に入れられると知ったあの時。
まだそのリングが私のものでなかったあの瞬間こそ、このリングは私の中で最も価値が高かった。
今、デスクの上でリングが見せる輝きは、店で見たあの時よりも鈍く見える。
リングだけじゃない、同じ日に買ったパンプスも、セーターも同じだ。部屋の照明が足りなくて、部屋が薄暗いからというだけではなく。
なぜ、手に入れたその瞬間から、色褪せてしまうんだろう。
それは物に限らず、立場や関係性にも当てはまる。横顔ばかり盗み見ていたあの人や、行きたいと思っていたあの店、憧れのあの指輪は、たどり着いた瞬間から私の一部となり、日常化し、その煌めきを摩耗させ始める。
一番まばゆく輝く瞬間だけが真実なわけじゃないと、知っているつもりでいる。でも、快楽のピークは手に入れるその瞬間にあって、私はそれに抗えない。所有する、というその一瞬を求めて私は何度でも財布を開く。
でも最近、その瞬間の悦楽の度合いすら、少しずつ減っているような気がする。
どんなものだって年月を経れば価値が下がり、古びていくのは道理だけれど、その期間自体が加速度的に短くなっているのを感じるのだ。
何ヵ月も前からクリスマスを楽しみにしていた時や、初めて彼氏ができたとき、初任給で欲しかったバッグを買った時。手に入れた喜びはずっと長く続いていたはずなのに、取得を繰り返すうちにその期間はどんどんどんどん短くなり、今の私は、何かを購入したその直後には、もう買ったもののことを忘れ始めていることさえある。
田口ランディの『もう消費すら快楽じゃない彼女へ』という本がある。
素晴らしいエッセイ集で、珠玉の文章が編み込まれているのだが、私が何より秀逸だと思うのはこのタイトルだ。
そう、消費こそが我々の快楽なのだ。ギャンブルもドラッグもやっていないけど、私は消費のジャンキーだ。だけど、依存度が高まるほどに同じ薬では刺激を得られなくなるように、一つ一つの消費から得られる快楽も徐々に弱まっていく。私はまさしく、「もう消費すら快楽じゃない彼女」になりつつある。
石をぶつけて火花を起こすみたいに、一瞬の光を求めて私は買い物を繰り返す。
それは、所有の快感を求めているだけではなくて、自分がまだ消費に快楽を感じられることを確かめようとしているのかもしれない。
買ったばかりの、三つのシルバーリングを眺めている。
かわいいな、と私は思う。
時が経って、きらめきはかすんでも、ずっとかわいいと思い続けたい、と思う。祈りのように。
この指輪がこの先ずっと私の指にはまっていたら、私の足りない何かは満たされるのだろうか。
written by 満島エリオ
(二月共通テーマ:ASIAN KUNG-FU GENERATION「海岸通り」)