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手放す④

前回、家を手放すことについて書いたが、プチ(?)アドレスホッパーになるにあたり、ものを大幅に減らさなければいけなくなった。

もともと少ない方ではあったけど、それでもあんまり着ない服はいくつかあったし、靴下だけでダンボールひとつ埋まりそうなくらいだった。

というわけで、今回はいろいろなもの(主に服)を手放すことになった。

いわゆる、ミニマリスト的なものの所有の仕方をする、ということである。


最終的には、自分の全財産が、段ボール4つ+スーツケース1つ+リュック1つ(+植物)にまとまったのだけれど、ここまで減らす過程で、さまざまな苦悩があった。

ほとんど着ない、だけど気に入って捨てられなかった服や靴。きっと、10年くらい所有していれば、その間に数回は着るだろう、とも思う、そんなようなものを、じっと見つめては、処分用の袋に入れ、翌日袋から出し、後日心を鬼にして再び袋に戻す…
というのを何度か繰り返して、やっと荷物がまとまった。

泣く泣く手放したものもいくつかあるし、今になって、あぁ、あれはもう処分したんだった…となることもある。

新居はシェアハウスで、共用のキッチンはあんまり綺麗でないし、できることも限られている。ちょっと不便だなあ、と思ったりもした。

だけど、引っ越した翌朝にキッチンに向かうと、同居人の、おそらくインド出身の方が、小さな鍋でコトコトとチャイを作っていた。

甘いミルクと、スパイスの香りがふわっと漂う。

若干曇っていた心が一気に晴れた。

限られた状況でも、少ないものでも、工夫次第で、何とでもなるのだ。
あるものをうまく組み合わせれば、ここはインドにだって、ハワイにだって、エチオピアにだってなれる。

そんな風に感じることができた。

わたしは、これだけのもので、生活していくのだ。
今あるものだけで、やりくりする。
今持っているもので、満足する。
少ないけど、どれも自分にとってすごく大切なもの。
そんなものたちと、わたしは生きていく。
というような。なんというか、余計なものがなくなって、自分の芯や軸みたいなものが、前よりもはっきりと見えてきたような、そんな感覚だ。

振り返ってみれば、こうしていろんなものを整理し、手放す時間が、
自分にとって本当に大事なものは何か、本当に好きなものは何なのか、
自ずと、自分自身と深く向き合う時間になっていた気がする。

ミニマリストとは、己と向き合うための、究極の物理的行為なのかもしれない。

改めて、これからの生活、
余計なものを手放し、本当の自分として、本当の自分だけで生きていく、自分の新たな人生が、とても楽しみになった。

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