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併走

   ランナーズハイを経験したことがある。16kmも走ったからで、給水は4回。4kmまでしか走ったことがなかったのに。学校のマラソン大会なので、特別私が一念発起してチャレンジした、汗と青春の輝かしい記憶、という訳でもない。無言の圧力と強制に屈し、弱音を吐いても、結局なし崩し的に当日を迎えただけである。

    高校1年の時はマラソン大会の月に肺炎にかかったため、ドクターストップ。体育の練習には参加していた。一応「マラソン大会は出てもいいですか?」と聞くと「肺炎にかかった月にマラソン大会出る人いないよ!」とわりと強めに叱られた。そうなのか、と思い担任に伝えたが、クラスメイトには「あの子体育で走ってるのになぜマラソン大会休むの?」と欺瞞に満ちた視線を送られる何とも居心地の悪い結果となった。 

   中学の時は4kmで、夕方練習した。薄暗さと風の冷たさ、揺れる雲と歪む月が自分のための特別空間のようで心地良かった。ソフトボール部に所属していたが、友人と体験だけしたら熱い勧誘に負けて入ることになってしまった。ミニスカートのチアみたいなユニフォームが可愛いテニス部に魅かれていたのだが。しかし、腕を回して投げる投法や、偶然かかるカーブや、バットを振って打てる技術の習得は、ここでしか得られない貴重な経験だった。当時女子バレー部が地元の強豪チームで、マラソン大会の上位を独占していた。独占していたのはそれだけではない。教師からの信頼とクラスの権力者の地位、男子受けも、である。いささか独善的で支配的なバレー部のリーダー女子には対立勢力として、テニス部キャプテンの人道派で知性派の子が存在した。この子に嫌われるとクラスでの立ち位置がなくなる、と噂されていた子である。私は後者の派閥に所属していた。

    私は彼女に特別媚びなくても、国語好きで、国語の先生によく褒められていた共通点があった。彼女の文章のほうが、いつも魅力的だった。意見発表大会選抜の為、まずクラス発表の予選があり、その場で彼女は自らの複雑な家庭環境を堂々と読み上げた。曽祖母の代から皆離婚している、から始まり、血の繋がらない母の献身、明るさ、人望が語られ、将来は海外の無医村で看護師をしたいと締めくくられる彼女の夢に、心を打たれた。彼女もまた、私の意見発表文を褒めてくれた。社会問題、薬害に関して当時の厚生省や製薬会社に噛み付く内容だったため、衝撃は与えても感動は与えない、大人受けはしない、と今ではクリアにわかる。

   バレー部にもいい子はいる。しかし、クラスのイケイケリーダーには腑に落ちない点があり、かと言って私がリーダーとしてクラスの先頭に立てる訳でもないので、体育教師の担任にとっては私の方がタチの悪い扱いにくい生徒だったのだろう。

    マラソン大会の結果は確か全校女子で16位くらい。上位入賞を義務付けられたバレー部は私の後ろにもいた。バレー部や担任に一矢報いたようで、相手は何とも思っていないであろうが、嬉しかった。

   高校のマラソン大会に戻ろう。16kmでランナーズハイになったのは高2の時。ちなみに男子は21kmで、もちろん全員参加である。全校の男女で時間差スタートである。折り返しがまだまだ先なのに、既に折り返して私の反対方向に走り去る子達を羨望の眼差しで見送ったものだ。付き合っていた相手が側に来た時もあったな。嬉しかった。が、併走不能なスピードだったため、空気読め!とイラッとしたっけ。

   男子と一緒にスポーツをして恋心を育むことは困難である。中学の時、スキー学習で好きな男の子と一緒のチームになりたくて、実力以上のチームに入った友人。肉食系美女だったが、結果は手首骨折で惨敗。いや、結局付き合ったので勝利なのか。相手は大人しく口数の少ない、世話好きな彼女曰く「可愛い」タイプの男子だった。

   結局マラソンは自分との闘いで、競技経験のない私には相手を意識する余裕がない。走り始めると、お腹が痛い、息が苦しい、足が怠い、と長らく不快症状が続いた。歩いてもいいのだが、余計に疲れる、そして何より終わらない恐怖に襲われる。だんだん、一定の息づかいとリズムで走ると楽だ、と走りながら気付いた。4回の給水地点では、PTAのお母さん達がすごく優しかった。

   後半のある時点で、あれっ?と思った。不快症状が全て消えたのだ。走っているのに苦しくない、足も感覚がないからいくらでも動かせる。楽だな、もっと長く走りたいな、と思ったままゴールした。不思議とその後も疲れなかった。次の日は休日で1日寝ようかラッキーくらいに思っていたが、朝6時に目が覚め、筋肉痛のひとつもない。なぜ?と疑問だったが、元気なので病院へ行くこともなく、日々を消化する他なかった。

  これがランナーズハイだと気付いたのは、私が大学生で「クライマーズハイ」を読んだ時だった。敬愛する横山秀雄先生の著書である。御巣鷹山の日航機墜落事故を舞台に奔走する記者の姿を描いた、言わずと知れた傑作。映画にもドラマにもなっている。何がすごいか、というと、元新聞記者の横山先生の卓越した筆力。文に無駄が一切ない。一つ一つの言葉が、文が、洗練されていて読み手に映像を与える。こんな格好いい書き方に憧れたが、私は既にこの文の通りである。もう一点、女子大生は無敵の若さとフレッシュさがあるわけで、おじさんの格好良さをわざわざ探しに行かなくても問題はない。だが、この作品や横山作品に出てくる「おじさん」達が格好良くて、ついついこちらから追ってしまう。女子大生に追われるおじさんって最強じゃないですか?

   タイトルの「併走」は、noteの世界の人達とは共に走っている、という意味。手を繋いでくれる人、少し先を照らしながら導いてくれる人、近くにいてくれる人、側に行ってみたい人、中には反対方向や遠くて近づけない人も、全ては同じレース場で走っているのだ。真逆で走る人もコースが違うからと言って、直接否定したり傷付けたりはしない。お互いが気を付けている当然のことで、何処でコースがクロスした時、手を振り合えたらいい。そこから同じコースへ向かえるかもしれないし、再び運命のクロスを待つ楽しみをもっていてもいい。

   noteは今日も変わらず、変化を受容し成長し、書き手と共に走っている。

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