見出し画像

個性の煌めき:発達障害×HSPの日常の挑戦をチャンスに変える思考パターン!




■HSP×発達障害バトル勃発?

HSPという言葉がネットや書店で目に付くようになったのは2~3年前。

実は私自身にHSP気質があるようで、2000年頃から独学で学んできたことだったので「なぜ今?」という思いがある。

そしてなぜ私がそんな時期に「HSP」について学ぶようになったかと言えば、学術的な意義とか人のためにという正義感ではない。

発達障害と診断された子供と、「え?それって俺のことじゃね?」というパートナーに挟まれ、自分の中の「当たり前」の基準の崩壊にメンタルダウンして、何とかしたいともがいていた時に、まわりの「発達障害」と対局と言っても過言ではないと感じていた「HSP」に自分がドはまりしていたから。

医師でも医療従事者でもない、心理学かじっただけの一般人の、それでもリアルなHSP×発達障害の個性ぶつかり合いバトルについて残しておこうと思う。

■HSPと発達障害の共通点


HSPは生まれながらの気質の問題で病気でもないし、治るものでもない。
そして発達障害は脳の使い方の問題でこちらも治るものではない。

どちらもうまく付き合わないと社会で生きていくのに生きづらさを感じることになる。

そして、身近に該当者がいない人からすれば「なに、そんなことで」と思うことで困っていたりするけど、外から見てわかることではないのでどちらも理解されづらいという共通点がある。

しかし、「一緒にするな」という人も多くいると思う。

「属性」にこだわる人にはすごく重要なことなんだろうけど、私にしてみれば「どっちも治らないんだったら付き合い方を考えるしかない」と思うんだよね。

「訓練で直ります」的な事謳っているのを見ると「根本的には解決できないんだから、治ったと思っていて何かトラブルが起きて症状が出たときの絶望感はすごいと思うぞ」と他人事ながら心配してしまう。

治そうとしなくてもいいんじゃない?
社会生活に馴染めれば、共存していけばいいんじゃないの…と。

そもそも「治す」って発想は「よくないこと」を正そうとしている姿勢を感じるし、
HSPも発達障害も分類だけであってどっちも悪いことじゃないでしょ?

…って書くと「発達障害ではなく発達障碍だ」とか「子供ではなく子ども」だとか論争と同じ感じがするので深堀はやめておこう。

■繊細さんと敏感さん

HSPについては「繊細さん」という別名も有名だと思う。
実際、私がスペシャルサンクスに名前を載せてもらっている書籍も「繊細過ぎる自分の取扱説明書」というタイトルだ。

「じゃ、発達障害ってなんていうのがいいんだろう…」私のまわりの発達障害さんたちの特性を見ながら対比できる言葉を考えたときに「敏感さん」が一番語呂がいいような気がする。

でも、検索するとHSPのことを「敏感さん」と表現している人もいる。
抽象度を上げる表現で似た言葉になるのはやっぱりどこか似ているところがあるからじゃないかなと思っていたりもする。

この文章では医療関係者でもない私の考えを書くのでHSP傾向のある方(次に記載するDOSEすべてにははまらないグレーゾーンの方も含む)を繊細さん、発達障害(グレーゾーンの方も含む)を敏感さんとして進めていこうと思う。

■繊細さんたち
HSPは「DOSE」という特徴がすべて含まれることが条件で、そのうちの1~3個のみ当てはまる人もいる。

簡単に書くとHSP=「Highly Sensitive Person」とは
D:「深く処理する」Depth of processing 
O:「過剰に刺激を受けやすい」being easily Overstimulated 
O:「過剰に刺激を受けやすい」being easily Overstimulated 
S:「些細な刺激を察知する」being aware of Subtle Stimuli
という4つの特徴をすべて持っている人というのが
エレイン・N・アーロン博士の定義。

でも、最近では4つはまらなくてもHSPと括ってる方もいるので、そのあたりは臨機応変な判断でいいと思う。
別に病気とかじゃないんだし、そのあたりはどっちでもよくない?

ただ、自分の性質を知るための指針にする分には概要だけ知ってれば充分だと思う。
解説すると長くなるし、詳しく知りたい方はHSP講座開講しているのでお問い合わせを(笑)

営業はさておき、まわりの空気を読む(正しくは想像しすぎてる)ことで疲れ切ってしまったり、「神経質」と言われるようなことで傷つきすぎてしまったり、うまくコントロールできなくて生きづらさを感じてる人もいる。

また、生まれつきはそうでもなかったけど、生育環境や社会環境でDOSEの気質が後天的に身につくケースもある。

こうなってくると提唱者のアーロン博士が言っているHSPと類似HSPが混在してきて「自称HSPさん」とか「なんちゃってHSPさん」も増えてくる。

学術的にはどうなのかは知らないけど、私が見る限りHSPさんは「外からの刺激に対して繊細に反応してしまう人」。
その人によって視覚・聴覚・触覚などどこからの情報がだめっていうのも違う様子だけど、全体的に空気を読みすぎちゃう人。
それも千里眼的に「真実を見通す」というよりは思い込みも含めて妄想が暴走している気がする。

起こってもないことに胃に穴が開きそうなほど悩んだり、自分に向けられた言葉でもないのに感動して泣いたり、苦しんで落ち込んだりもする。

この性質はネガティブに発動しやすいから「生きづらい」って思う人も一定数いるんだけど、ポジティブに使うとすごく便利。
何もしなくても「こういうトラブルが起きたら…」に対してたくさん想像ができるので、「じゃ、本当にそうなったらどうしよう」って備えておけば怖いものなし🎵

だから私は「繊細さん=生きづらい」方程式が嫌いだ。

■敏感さんたち
発達障害はと言えば少し前までアスペルガー症候群と呼ばれていた人を含むASD(自閉スペクトラム症)や最近カミングアウトする人が増えた気がするADHD(注意欠如多動性障害)を始め、LD(学習障害)など分類はあるものの、私が見てきた発達障害さんたちを見る限り、どれかひとつだけの特性を持ってる…という人はレアだと思う。

ASDの診断受けてるけど、ADHDもうっすら持ってたりとか性質の濃淡があるだけのような気がする。
性質の濃淡という意味では「定型発達」と言われる人でも同じことだけど。

…で、この発達障害も曲者で、「発達障害なんて!」と悲嘆する人もいるし、「そんなはずはない」と特性ガン無視で「やればできる」的にいろいろやろうとする(やらせようとする)人もいれば、真逆に「発達障害なので●●はできません!」と免罪符のように使う人もいる。

個人的見解を言わせてもらうと、どれもナンセンス。

発達障害だろうがグレーだろうが、生育過程でそうなっちゃったことだろうが、「今そこにあるその特質」がどうなるものでもない。

生活が困難なレベルなら手帳もらうなり、福祉支援受けるなりした方がいいと思うので診断受けてサポートをしてもらえばいい。

診断結果がグレーだったからって「じゃ、問題ない」というものでもなく、そういう特性があるんだったら、本でもネット記事でも参考にして「日常生活で困らないように」工夫すればいい。

結局、自分のことを知って社会で生きていけるように工夫しよう…ってところは繊細さんと同じだと思うんだけど、ここで大きく違うのは向いている方向だと思う。

「繊細さんは外からの刺激に」敏感なんだけど、敏感さんは「自分の感覚の変化に」敏感なんじゃなかろうか?

自称グレーゾーンのパートナーに言わせると「集中力がないんじゃない。頭の中がテレビのチャンネルをザッピングするように勝手に変わっていくんだよ」だって。

定型の人は妨害電波が入っても「ストレスだけど今はこのこと考えなきゃ」みたいに外に意識を向けてチャンネル固定できるけど、発達障害の人は妨害電波が入ると「自分がどうしたいか」とか「どうしなきゃいけないか」以前にそのまま自分の感覚に敏感に反応してしまうのかなって思う。

そりゃ、急流で流されたらコツ知らなきゃ流されるしかないじゃん?
でもここで「だから仕方がないんです」って開き直ったら社会で生きていくのは迷惑になっちゃうよね。

■ある発達障害児たちの育児


実は私自身が発達障害児を育て上げた。
ASDの子とADHDの子。

妊娠中から「おなかの子は自分の分身ではないよな」と思うことが多かったので、産んだ後も私の常識を超えるようなことやらかしてもそんなに深刻に困ることもなかったんだけど…。

今、振り返ってみると確かに私の常識を超えていたなと思う。

0歳で骨折してるのに泣きもしないとか。
(腫れてきてるのを見て初めて気づいた)

すれ違いざまあいさつ代わりに人をたたくとか。

広い場所を見つけたら際限なく走り回るとか。

出かける時にいつもと違う道順通ったら大パニックになるとか。

出先で好きなキャラクターの着ぐるみのパレード見てたらそのまま隊列に加わってしまって迷子になっても気づいてないとか。

「これ、しちゃだめよ」と注意された時に聞いているポイントがズレているとか。

自分に興味のない話だと途中からあからさまに魂抜けるとか。

自分で話し始めたくせに会話がめんどくさくなって「もういいわ」ってなっちゃうとか。

…書こうと思うとどれだけでも出てくるわ(笑)

でもね、一般的な育児書とはかけ離れてたけど、発達障害の本や情報をMIXしてたら結構ツボはおさえられて。

どこかの段階で支援級とか療育とかも視野に入れなきゃな…って思ってたけど、大学まで定型の子と同じように進学し、障害者枠使わずに就職も決めてきた。

…というか、小さい時に本当に手をかけた分、同年代の子と比べたときに幼すぎる部分も残っている反面、恐ろしくまっとうな意見を持っていて、「それはダメだと思う」という強さも身につけてくれた。

多分、今なら外での生活は自己申告しなきゃ発達障害とは思えないほど社会適合できてる。
…その分、身内の前ではひどいもんだけど、ま、身内ぐらいわかってやってもいいんじゃないって思ってる。

そうやって育ってきた子供たちは「自分は発達障害だから…」なんて消極的なことは言わない。
なんなら「発達障害も含めて今の自分だから、生まれ変わってもこのまんま自分に生まれ変わりたい」んだそうだ。

親が自己肯定感の先生になる前に、ちゃんと自己肯定感高く育てられていた奇跡に感謝!

■世間の認識が生きづらさを作る


先に書いたように繊細さんも敏感さんもそれだけで生きづらいに直結するわけじゃない。
男性社会で女性が生きづらいとか、女性社会で男性が生きづらいとか、その程度の話。

でも、とても大変な事のように受け止められるのは受け取りてのとらえ方の問題だと思う。
本人も、家族も、その他の人も。

うちのパートナーは「俺も両親も多分発達障害だわ。腑に落ちた」って言ってたけど、別にそれで苦しい思いして生きてきたわけじゃない。

過去の話を聞く限り「俺も相当変わってるけど、俺から見たら周りのやつが全員変わってる」と思う子供時代だったらしいので救われたんだろうね。
「みんなと一緒にしなきゃ」って親も本人も思ってなかったから、「こいつはこういうやつ」で通ってきたんだと思う。

その教えもあり、うちでは園児になった時点で「あなたは多分、周りの子と違う当たり前を感じると思う。でも、それはあなたが悪いことでも、周りがおかしいことでもない」って説明して育ててきた。

そのおかげかいじめに遭おうが、授業についていけなくなろうが、多少さぼる日はあっても留年することなく卒業まで行けたんだからすごいよなって思うよ。

そんな経験をして成人したうちの子たちは、何かトラブルがあった時に「発達障害だから…」って言われると「一緒にするな」って思うし、別の子が「発達障害だから●●できないんです」っていうと「甘えてんじゃないよ」って思うらしい。

「男だから家事しなくてもいい」とか「女だから重い荷物持たなくていいよ」みたいなもの。

多様性の今、生きるのが大変なのはあなただけじゃないってことなんだから、自分だけ高みの見物しようって当たり楽しようとしすぎじゃないかな?

「頑張ってできない」のと「最初から頑張らない」のとは全然違うからね。
あなたの個性を抑えろって話ではなく、あなたの個性を活かしながら、誰かと助け合える一人の人間として自立しようって話。

うちの子もたいがいできないまま大人になっちゃったこと多いけど、「この分野はやりまっせ」的な部分はちゃんと育ったし、「これ、苦手なのよ…」って言っても「しゃーないなあ」ってキャラとして受け止めてくれる子もいるっていうのは定型のことは別のルートで育ってきたけど、ちゃんと社会生活できる大人になれたってことじゃなかろうか?

そこ目指そうとすると定型も非定型も関係なく、「どうやったら自分のストレスを減らしながら周りの情報を判断できるかの積み重ね」と「自分の何がほかの人の喜びを生み出せるのか探し」の習慣を作っていくしかないよね。

なぁんだ、みんな一緒じゃん!

■繊細さんVS敏感さんの最悪のゴール「カサンドラ症候群」


ところでカサンドラ症候群って知ってます?

発達障害(特にASD)を持つパートナーや家族と情緒的な相互関係が築けないために配偶者やパートナーに生じる、身体的・精神的症状を表す言葉。

ただでさえ相互関係が築けないのに、受け取りすぎてしまうHSPさんだと最悪とされている。

HSPで困りごとを抱えている人は、発達障害の周りの空気と関係なく振舞えてしまうところが全く理解できないし、逆に発達障害を抱えている人から見ればHSPの人はどうでもいい事を考えすぎて抱え込みてしまっているので重い。

付き合いかたさえ間違わなければ、お互いすごく役立つ組み合わせだと思ってる。

だって、足りないところで真逆に振り切っているから。
理解しあおうとすると難しいんだけど、「そういう考え方もあるのか」と参考にする点は山ほどある。

「あなたのここが悪いんだ」って他責思考になってしまうと健康被害を起こすけど、「真逆のこの人と共存するルール作りをしよう」と思えればお互いにプラスになる。

■20年かけて得た思考法

わたしが「得意を活かして苦手を補い合うコミュニティを作りたい」と思ったスタート地点はここ。

まったく真逆だからこそ、自分の世界の突破口を見つけるヒントが転がりまくってる。

これからはいろんな性質や思考法の人と縁を繋いで、より深くて広い世界を楽しみたい。

#創作大賞2024 #エッセイ部門


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?