最近

大学の文化人類学の授業で教授が、文化は人を縛っているもの、と言っていた。

そうか、人がつくった、ルールや決まり、習慣みたいなものが積み重なっていったものが文化で、そういったものに私たちは縛られている、のだなあ。

言われてみれば当たり前のことのように思えるけれど、縛られている、なんて感覚はあんまり無かったから、そうか、と少し腑に落ちた。

人間は文化というものにある種縛られながら社会の中で生きているのだとしたら、本来人間はもっともっと自由なはずなんだよな。


そういう、本来の人間の自由さ、から思い出したことをもう一つ。

別の授業で読んだ、西欧の二分論的世界認識に対して、アフリカの世界認識がどういうものなのかという論文の中で、世界は西欧の二分論的な考え方で捉えられるほど単純ではないし、人間も含めた万物は他者(ここで指すものは人間だけではない)との対話や関わり合いを通して、常に変化し続ける存在である、というようなことが述べられていた。

この論文を読んだ時、ものすごく腑に落ちた感覚がした。自分の中で、こうならなきゃ、こうしなきゃ、みたいな感覚が強くあって、自分がわからなくなってしまっていたけれど、常に変化し続けているし、0か100か、みたいな二分法で考えられるほど単純じゃない。曖昧な存在だって良い。というか、それが本来の人間の姿なんじゃないか。完璧なんてものは存在しない(これは先の論文でも述べられていた)し、曖昧な存在である故に、何にでもなり得る。そう考えると、私たちはいろんな潜在能力を秘めた、とても可能性や希望のある存在として捉えられる。

全然まとまってないけど、平たく言うと、とにかく人間って本来もっともっと自由で、何にでもなれるんだよねって最近思いました、というお話。

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