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幸せって、消すことのできないルーモス

わたしが痩せっぽっちで眼鏡をかけた、その少年に出会ったのは、小学校3年生の…8歳か9歳か忘れてしまったけど、おそらく冬。それから今、26歳!
この18年間、1日も欠かすことなく、わたしはずっと、魔法の世界の中で生きている。

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これはミナリマのおふたりがサインを書いてくれた、わたしの名前入りの、わたしだけのホグワーツ行きのチケット。11歳の時に来るはずだった入学許可証は、梟が迷子になってるだけで、いつか来るはず!と思って生きてきた!
そんなハリポタとともにある人生を、改めて振り返ってみようと思います。
※書き始めたら止まらなくて、多分7000字くらいあるので注意

わたしの9と4分の3番線

全ての始まりは、小学校3年生の時の担任が、当時発売されてた1〜5巻のうち、3巻までを教室の学級文庫として置いていたことだった。
正直に言えばその担任の先生の顔ももう思い出せないのだけど(名前は覚えてる!!)、ある日隣の席の男子が分厚いその本を読んでいて「この子に読めるなら、わたしにも読めるのでは…」という謎の対抗心で読み始めたこと、今でも鮮明に思い出せる。
〇〇先生、お元気ですか?〇〇くん、数年前にインスタのdmでやりとりしたね!お二人とも本当にありがとう(このnoteは絶対に見ていないと思うけれど)、ハリポタと出会うきっかけをくれた人として、わたしは2人のことを、生涯〜忘れる〜ことはないでしょう〜♪
わたしの9と4分の3番線は、確かにあの3年3組だった。
それまでも本を読むことは好きだったけど、学校の低学年向けの「シェーラひめのぼうけん」とか「黒ねこサンゴロウ」とか、挿絵がたくさん入っているものを読むことが多かったのに、どうしてあの時急に、あんなに分厚い本を自分でも読めると思ったのか、全然わからない。
というか、ほとんど絵本を読んでいた子供が急にハリーポッターを読み始めるって、成長速度やばすぎて我ながら怖い。きっと両親もびっくりだったと思う。
でも、読み始めて数行で、もう、止まらない!って思った。面白すぎて、大興奮で、家に帰ってすぐに「今わたし面白い本読んでる!」って母に報告していた(らしい)。これが運命か〜〜〜!
それから学級文庫で3巻まで読んで、そのあとは図書室で借りて5巻まで読んだ。それ以降はリアルタイムで追っていくことになった。
その頃はかなりの記憶力があったのか、1巻の3章くらいまでほぼ全部暗記していた気がするなぁ。(他のことに活かしていたら東大入学できてたかもしれん)
今でも覚えているのは、今はもうつぶれてしまった、最寄駅の小さな本屋で、文庫版の1〜3冊セットを父に買ってもらったこと。図書室や図書館有効活用派の我が家は、ほぼ毎週6冊ずつ本を借りて読んでいたので、それまで、どうしても欲しい本しか購入をねだることはなかったけど、ハリーポッターの本は手元に置いておきたくてたまらなくて…。セットだと今まで買ってもらったことのある児童書よりも断然高くてドキドキしたっけ。

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(これは多分当時の写真…こわ……)(初公開)

映画は当時すでに3作目まで公開していたので、DVDを親にTSUTAYAで借りてもらって見た、と思う。記憶はあんまりない。小説から入ったタイプなので、映画のこの人はイメージとは少し違う、と思う部分もあったりしたけれど、自分の頭の中と映画それぞれで楽しめた。

小学四年生になると、男女4人グループで遊ぶことが増えた。外で遊ぶことも多かったけど、その子たちにも布教をして、教室の後ろで毎日ハリポタ登場人物しりとりをしていたの、今考えたらすごいことだ。一緒に楽しめる友達がいるって、恵まれている。ありがとう当時の友達。
一緒に映画を見に行ったこともあったね。一緒にハリポタ展に行ってくれたこともあった。帰り道のお店で、ボンゴレが食べたいと〇〇くんが言ったのに、ボンゴレはないわって拒否してごめんね。4人グループのうち、もう1人の男の子がわたしにとっては初恋の人で、ずっと…たぶん6年間くらい、好きだった。両思いだった時期もありましたね。だから、いまだに、彼がハリポタを見るときに、わたしのこと少しでも良い記憶として思い出してくれたらいいのになって思っちゃう。

6巻を読んだときには、素直にセブルススネイプを許さない!と怒り狂っていた。ダンブルドアの死を受け入れられず、友達との交換日記に長々と考察を書いていた。あれを読んでくれていた当時の友達、ありがとう。
英語版7巻が発売された日の昼には、それまで毎日見ていて、自分も投稿していた考察サイトに、亡くなった人リストみたいな最悪な形でネタバレが投下されていて、あまりにもショックでつらかった。あれは今でも忘れられない。思わず泣きながら母に訴えた。
日本語版が発売される時には、もちろん事前に予約をして、朝5時に母と妹についてきてもらって、チャリで最寄駅に向かい、その駅の本屋では最速でゲットした。それからリビングのソファで一気読みした。だから多分、実家近辺に住んでいる人の中で一番最初に読み終えたと思う。昼ごはんを食べる時間さえも惜しくて、片手で食べられるサンドイッチを作ってもらった。味は覚えていない。ヘドウィグが亡くなった時点で、一度本を閉じて、涙がぶわって出てきたときには、見守っていた母が大きいタオルを渡してくれた。

わたしが守護霊を呼ぶときは

思えば、わたしのオタク人生は、母の全力のサポートにいつも支えられている。

思い出深いのは、中学3年生、12月。高校受験が迫った寒い日、受ける予定の模試があった。でもその日、ドラコマルフォイ役トムフェルトンくんのイベントが開催されることが決まった。行きたいけど無理だろう、と最初から諦めていたわたしに、母は「受験本番じゃないんだから、模試の一つくらい休んでいいよ!」と言ってくれた。塾への連絡もしてくれた。受験生の親とは思えない決断である…。当時の先生、ごめんなさい、でも結局志望校に受かったし許してね(笑)
そして東京タワーの真下、風が強く吹く中、4時間、わたしのために母は一緒に並んでくれた。高いチケットを買ってくれて、なのにツーショット写真撮影に母は入らず(優しすぎない?)、英語の話せないわたしのかわりに、いかにわたしが彼を好きかを伝えてくれた。
当時トムくんは趣味の鯉釣りで綺麗な鯉が釣れるとその鯉にキスをすると噂を聞いたので、「わたしは鯉になってあなたに釣られたい」と伝えてもらった。(なにそれ?)
トムフェルトンくんは本当に優しくて、母の言葉を聞いて爆笑してくれた。でもわたしはその時のトムくんの顔よりも、会えた後、母の「会えて本当によかったね」って言葉の方が記憶に残ってる。

同じくらい鮮明に覚えているのは、ユニバのハリポタエリアオープン日。
大学入学して初めてのテストが始まる1週間前の大事な時期だったのに、「この日を逃したら一生後悔するよ!大学なんて休んでいいよ!」と言ってくれて、まだ未成年だったわたしと一緒に母は大阪までついてきてくれた。
前日、遠くから城の塔が見えて、感激して泣いたわたしを見て笑い、翌日初めてフォービドゥンジャーニーに乗って隣の席の男子たちに引かれるくらい泣いたわたしにつられて母も多分泣いていた。
太陽サンサンですごく暑い日だったけれど、たくさんのハリポタを好きな人たちはみんな、黒くて長いローブを着て、目を輝かせていた。あの光景が、今でも愛おしい。

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大学の入学祝いで祖母がロンドンにつれていってくれたことも、懐かしい。みんな初めてのロンドンで、わたしは初めての海外だったけれど、すべてのスケジュールを任せてくれたので、当時発売されていたロンドン旅行本を全部読んだんじゃないかと思うくらい事前調べをした。
限られた時間でどんな風にまわろうか、ロケ地からロケ地への移動は電車なのかバスなのか。ネットも駆使してルートを考えたことも楽しかった。
実際のロンドンは、ハリーが生きている町を歩けているだけで嬉しく、JKローリングと同じ空気を吸えているだけで幸せだった。

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映画の公開日はいつも、学校の帰り道で母が車で待機していてくれて、そのまま映画館に向かった。
グリフィンドールのマフラー(8000円)が、当時の自分にとってはあまりにも高くて、誕生日とクリスマスとお年玉全部合わせてもいいから欲しい!と伝えて、買ってもらった記憶もある。グッズ展につれていってくれたときは、せっかくだから欲しいものは全部買いなよと言ってくれた。
他にも、たくさん、数え切れないくらい、ハリポタとの思い出のほとんどに、母がいる。

(父は当時単身赴任でずっと地方にいたので、あんまり話に登場していないけれど、でも誕生日プレゼントにハリポタのグッズを飾る用の棚を作ってくれたこともあって、いつも私のことを見守り応援してくれてるよ!)

わたしがハリポタを好きでい続けられたのは、ぜんぶ、母のおかげだと思う。
好きなことに全力でいさせてくれて、一度もその好きな気持ちを否定せずに応援してくれてありがとう。

もし、わたしが守護霊の呪文を使うときには、ママの姿を思い浮かべるだけで充分だよ。

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(写真はまさかのイクスピアリ)(ひどい裏切り)


フェリックスフェリシスは私の手の中にある

ハリポタをこんなに長く好きでい続けていたら、魔法みたいな奇跡がいくつも起きた。

最初は母につれていってもらっていたトムフェルトンくんとのイベントは、それ以降、フォロワーの友だちと行くようになった。毎回欠かさず何度も何度も会った。始発で先着チケットをとりに行ったトムくんとのボーリング大会も楽しかった。
たまたまトムフェルトンくんが好きなモスバーガーでバイトをしていたのでそのトークをしたら、その内容が後日ネットニュースにちらっと記載されていたり、自分で夜中に作ったメッセージカードを彼が気に入ってくれて、プレゼントボックスではなくサインをする机の上に置いて飾ってくれたり、何度も会っていることを今までの写真を見せてアピールしたら、トムフェルトンくん自身のスマホでわたしとこれまでの写真を記念に撮影してくれたり、ハグをしてくれたり、たくさん優しくしてもらって、会うたびに大好きになった。また会いたいな。

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成人してからは、レッドカーペットや試写会などの映画のイベントに1人で参加できるようになった。片っ端から応募して、自力、もしくは友達に誘ってもらって、いくつものイベント会場に足を運んだ。
フォロワーさんからの勧めとノリで、ボウトラックルのコスプレをしたら、俳優さんたちにもたくさん褒めてもらえて嬉しかった。
エディレッドメインにアメージングと言ってもらえてツーショットを撮ってもらった時の動画は、今でもお気に入りで、何度も見返してしまう。
ジュードロウがアイラブイット!と笑ってくれた瞬間、クローディアキムにソーキュート!と撫でてもらった瞬間、どちらもアドレナリンが出過ぎて気絶するかと思った。

フェルプス兄弟のサイン会では、感極まって大号泣してしまった。震えながらサインと握手してもらったら、スマイルスマイル!と言って立ち上がって、わたしの肩をなでなでしてくれた。
アイラブユーと、ずっとファンで、あなたたちの妹になりたいですと伝えたら「ありがとう、you are my japanese sister!」って言ってくれたこと、一生忘れない。
ルパートと会えた時も、ウィーズリーになりたい!と伝えたときに「君もウィーズリーだよ!」と言ってもらえたから、もしかしたらわたし、ウィーズリーかもしれない。

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夢のようなことは、他にも起きた。

数年前からわたしの部屋はハリポタグッズに埋もれているのだけど、たまたま縁があって、その部屋をテレビの番組で取材してもらうことになったり。
グッズたちを番組の飾りとして使ってもらったり。
テレビに自分が映るなんて思ってもいなかったので、びっくりした。
いまだに親戚が集まるとその時の番組をまるでホームビデオのように流すのがちょっと恥ずかしいけど、いい記念になったと思う。

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わたしはこの部屋にいるだけで、いつだって宝箱の中にいる気分になれるのだ。(もしよかったらTwitterで #私の部屋のハリポタエリア でぜひ検索してください。素敵なお部屋がたくさん見れます!実はこのタグはわたしが数年前に発案したもので、こんなにたくさんの人に使ってもらえるとは思っていなかったので、びっくりしています。)

ついこの前も、息が止まるかと思うほどのことが起きた。作者であるJKローリングさんが、たまたま、わたしのTwitterの呟きを引用リツイートしてくれた!ハリポタがわたしの人生を楽しくハッピーにしてくれたこと、一生のうちどこかで彼女にお礼を言いたいと思っていたから、それが叶えられて本当によかった。まさに夢が叶ったな〜と思う瞬間だった。

ハリーがわたしにくれたもの

ハリーはわたしにたくさんのものをくれた。感受性とか、豊かな想像力とか…(英語力はくれなかったけど)
でも、それだけじゃなくて、ハリポタを好きになって、一番よかったなと思うのは、世界中に友達ができたこと!

わたしの友達や会社の同僚は皆、わたしがどんなにハリポタを好きかを知っていて、ハリポタのニュースを見るといつもわたしに声をかけてくれる。「もう知ってると思うけど」といつもニュースのURLを送ってくれる後輩もいて、もちろんわたしはそれを2日前くらいに知っているけれど、それでも嬉しい。
テレビ出演した時も、会社の廊下で一つのスマホを先輩や同僚みんなで囲んで一緒に見守ってくれて、それも嬉しかった。

大学時代、留学生と仲良くなるきっかけはいつもハリポタだった。英語が上手くなくても、同じものが好き、それだけで友達になれた。インスタやツイッターでも、英語は苦手だけど、いろんな国の人と同じ話題で盛り上がることができる。

その中でも一番は、やっぱりツイッターを通して、10年以上付き合いのある友達が何人もできたこと。
直接会ったことはなくても、金曜ロードショーで放送があるたびにリアルタイムで実況をして、同じ作品を何度も何度も一緒にかみしめることができる友だちがたくさんいる。死の秘宝part2公開日の2011年7月15日0時には、ツイッター上ではたくさんの人が「悪戯完了」って呟いていたこと、今思い出した!興奮したね!
特に仲良しのひとたちとは、今では旅行をしたり、飲み会をしたり、お洋服を買いに出かけたり、真剣に恋の相談をしたり、まるで昔からの幼なじみのようで。この前ディズニーシーに一緒に行って、雨の中ジェットコースターに乗って爆笑したことも、ファンタビ0時上映をみてそのまま4時までベッドの上で語り合ったことも、全部が楽しすぎて、おばあちゃんになっても仲良くしたいなと思う人たちが、そばにいてくれることが本当に嬉しいし、なによりもわたしの財産だなと思う。

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薬指のルーモス

ハリーはわたしにとって、人生の半分以上を一緒に生きてきた、親友のような存在で、これからもきっとそう。
それは変わらないんだけど、これからは、7年間お付き合いしていたひととも、夫婦として一緒に生きていくことになりました。それがわたしはとても嬉しい!

彼は、ハリポタの映画を数回観たことがあるかも〜くらいでハリポタのことは何も知らないけれど、わたしがどんなにこの世界を好きかは知っている。わたしがハリポタグッズにどんなにお金をかけようと文句はひとつも言わないし、ユニバやロンドンに行くのも絶対に止めない。それどころか、将来家を建てるときには、ハリポタ部屋を作りなよと言ってくれる。
わたしの好きなことを、わたしの母と同じように、見守り、応援してくれる人です。

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そんな彼と一緒に購入しにいった婚約指輪。
まだ手元には届いていないので届いたらまた詳しく報告したいなと思うんだけれど、アイプリモというブランドの、「シリウス」という名前のものを選びました。(わたしはシリウスブラックのことが一番に好きだから、数年前にこの指輪の存在を知ってからずっと憧れてたのだ…!)
さらに、その裏の刻印には、「Lumos」と「彼のイニシャル to R(わたしのイニシャル)」をいれてもらいました!!!

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これからの未来、全部が一等星のように光り輝くルーモスでありますように!

after all this time?

こんなにも長く愛するものが、わたしの人生にあることが嬉しいし、そんな自分の人生が大好きです。
なにがあってもこれから先も、わたしの人生は魔法界と共にあるし、フォロワーさんの言葉を借りるならば、好きであることが自分の人格の一部だなと思います。

そして…

そして……!

そんなわたしの人生において!!また大きな奇跡が起きます!!!今日!!!いや正確には開幕はまだなんですけど!!でも今日と言いたい!!!!!

今日!!!2022年6月16日!!

舞台ハリーポッターと呪いの子 

TBS赤坂actシアターにて!!!

プレビュー初日!!

本当におめでとうございます!!!

日本に来てくれてありがとう!!!本当に嬉しい!!!2016年7月31日の全世界同時発売イベントでスクリプト購入して以来、2020年の赤坂の看板見たり、その年の9月ロンドンで見る予定だった、前から2列目のチケットをコロナで断念したり…本当に念願で待望の日。
ああ本当に、日本に専用劇場ができたなんて今でも信じられないよ。
わたしは初日である今日、前から7列目の良い席で見てきます!!ラッキー7!
ちなみにこのチケットとれたのは婚約者のおかげです、ありがとうね!!!
(あと来年ワーナースタジオができることも嬉しい!!すべてにありがとう!!)

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ちなみにみなさん、呪いの子10〜12月の分のチケットここから買えますよ(急に宣伝)

https://www.harrypotter-stage.jp/tickets-schedule



つまりね、after all this time?の答えはいつだってわたしも同じなのよ

always!!!!!!!!!

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