ニートを6ヶ月やってみて
だんだんと日が延びていくのを実感する2月。ついに6ヶ月のニート期間(休職)を終えて復職した。
ニートになった経緯はこちらの記事へ。
2021年7月まで、狭い世界で生きていた。
生まれ育ちは東京。私立の中高大で学び、新卒で就職。
海外留学・ワーホリ経験無し。旅行もほぼしていない。
それゆえ、異なる環境、異なる人生を歩んでいる人の話を聞く機会がほとんどなかった。狭い世界で生きているから、自分の周りの環境が全てだと思い込むようになっていった。
私の頭の中はいつもこうだった。
"仕事ができないので社会の役に立たない。頭が悪い。自分は何をやってもきっと中途半端にだめなんだ。東京出身者は東京以外では暮らせない。無能は東京でサラリーマンをすることにしがみつづけるしかない。地方に憧れたまま、一生息苦しい都会に縛られ続けて死ぬ…"
2021年の年明けに、"どうせ死ぬなら、違う世界を見てから死にたい"、と思うようになった。
どうにでもなれ精神。履歴書の空白なんてどうにでもなる。人事部長に「半年ニートやりたいので退職します」、という宣言をしたら「無給でいいなら籍は置いておく」と言われてニート開始。
貸与PCを会社に返却し、オフィスを出ると、強いビル風が髪をかき上げる。ビルとビルの隙間から見上げた空はどこまでも青かった。
残暑残る9月上旬。コロナ禍の23時の東京駅は静まり返っていた。エスカレーターの「ご注意ください」の声だけが響く。普段見る東京駅とは違う姿に、今、非日常に身を置いているのだと実感した。
これからどんな世界を経験できるのだろう?と夜行バスに乗る。翌日さらに高速バスと路線バスに揺られ、計10時間の移動で着いた先は、同じ日本国内でも全く違う世界が広がっていた。※詳しくはこちらに。
見渡す限り空が見える。優しい、秋の風を感じる。
朝日で目覚め、夜になれば眠る。食事は皆でとる。プライベートな話をどんどんする。名前を呼ばれる。話しかけられる。こちらも他愛ない話をする。
田舎暮らし体験は、働いていたときよりも居場所があった。たった1ヶ月だったけど、ここにいてもいいのだと思えた。東京で得られなかった心の渇きが満たされていく。人間的で、本質的な幸せがあった。
東京の実家に一時帰宅。長袖と秋用のコートをスーツケースに詰め込み、再び23時の東京駅に向かった。
7時間ほど揺られて向かった先は京都。
田舎暮らし体験とは違って、京都での暮らしは東京にいるときと変わらない。昼間はサイクリングをして、図書館で本を読む。夜になればスーパーで食材を買い、自炊をする。
けれど、東京と異なっていたのは街全体の美意識であった。
過去に京都で生きた人たちの美意識と、目の前にいる人々の美意識に一貫性がある。
街のあちこち見かける洋風の建築。まっすぐに伸びた道。赤や黄色などの原色の広告にぶつかることのない、中心部。燃えるような紅葉の前で木を静かに眺めている人々。横断歩道を渡るシックな色の着物を着ている女性。
美しい、と思う瞬間、辛いことや悩み、不安を忘れられた。
美しさに包まれると、自分のモヤモヤとした感情が自然と薄くなっていくような気がした。この街で暮らすことが私の夢だと思った。
半年で色々な街に身を置き、色々な人の話を聞いた。
ゲストハウスに泊まり、自炊しての暮らし。地方で生活する、ということを肌で感じた。
ずっと農業で生きてきた人。定年退職をした後、趣味で農業をしているひと。フリーランスで働いている人。食べていく手段にはいろいろあることを知った。
東京以外ではどういう人がいてどんな生活をしているのか。
自分はどういうときに幸せを感じるのか。
世の中にはいろいろな役割や仕事や人がいる。
迷っていてもいい 迷いながらも進めばいい。
東京のサラリーマンを永遠にやる必要はない。
これが半年の学びであり、得たものだ。
復職してから社長と面談をしたら「半年前に面談したときのあなたと比べると、視野が少し広がっているように感じる。」との言葉をもらった。
この半年は、「ニート」ではなくて「社会勉強の期間」だったんだ。
良いなと思ったら行ってみる、会いに行く、体験してみる。瞬時にネットでつながれて、知識をいくらでも得られる時代だからこそ身を置きに行くという経験が身になる。
3年~10年に1回、一区切りだと思ったタイミングで3~6か月の休暇を取るべきだと思う。最低でも3か月はとらないと、人生観を見つめなおすことはできない。ブランクがあるからといって瞬時に無能になるわけではない。
好きに生きよう。やりたいと思っていることを諦めずに実行しよう。