他人軸で生きてきた自分を、もう許してあげようね
夫に話して理解してもらえたら、スクールに入会できそうだとわかった。
話してみようとしたら、今度は「罪悪感」で動けなくなった。
何に対する「罪悪感」だったのか?
セッションの中で、自分が夫に抱えている「罪悪感」がどこから、何からきているのか、ひとつずつ考えてみた。
お互い不定休で、一緒の休みは貴重
一緒にいられる時間に、自分の予定を優先するのは申し訳ない
スクールが始まったら、ふたりで過ごす時間が減ってしまう
家事が完璧にできていない
結婚したんだから、家のことを優先しなくてはならない
夫にいいよって言ってもらえないと、自信がない
コーチに話しながら、自分で話していることの極端さにはっとした。
夫から、「一緒の休みは自分との予定を優先して」「好きなことをやるのなら、家事を完璧にやってからにして」「何か始めるのなら報告して、許可をとって」なんて言われたこと、一度もない。
わたしが友人と遊んで帰ってきたときには、いつも「楽しかった?よかったね」と優しく話を聞いてくれる夫。
今日も料理しなかった、ごめん…と謝ったときにも、「他のこと頑張ってくれているんだから料理くらいは俺がやるよ」と言ってくれる夫。
ちょっと保守的なところはあるけれど、穏やかで器の大きなひとで、わたしのことを否定したりなんてしないのに。
なぜか心のなかで彼に話すこと、否定されることを怖がっていた。
わたしが勝手に思い込んでいただけだ。
そして、なぜこんな思い込みをしていたのかというと、事の始まりはわたしの幼少期にまで遡った。
長女として、兄弟の我儘や癇癪、両親の不機嫌の様子を窺いながら育った
幼い頃から、自分がうまく立ち回って不和を解決しなければ、という使命感があった
お行儀よくしていたり、勉強や部活で良い成績をとったりして、大人に褒められるのが嬉しかった
こんな経験からわたしには、人の顔色を窺うことや、
他人に認めてもらえなければ価値がない、と思ってしまうこと、
すべて完璧にやらなければ褒めてもらえない、という風な思考が染みついてしまっていた。
心のどこかで分かっていた気はするけれど、これまであまりにも他人軸で生きすぎていたという事実にやっと直面して、愕然とした。
でも同時に、ちゃんと気付けて良かった。という安心感や納得感もあった。
「怖さ」も「罪悪感」も、全部ここから来ていたんだ。
わたしが勝手に思い込んでいただけ。
もうその思い込みを手放していい時だよって、自分で自分に言ってあげられる。
そう思うと、いきなり目の前が開けた感じがした。
家事を完璧にこなしてからじゃないと、自分のことに挑戦しちゃダメって思っていたけど、料理くらい夫の力を借りてもいいんじゃない?
人に甘えることは決して悪いことじゃない。
まずは夫にくらい、甘えてみたらいい。
自分はこれだけ頑張ってる!頑張ってるんだから文句ないでしょ!?って喧嘩腰は意味がない。
完璧にやってる自分だから文句言わせない!じゃなくて、
楽しくやってる自分だから応援してもらえる、っていうスローガンに変えたらいいんじゃない?
人の目を気にしすぎるのはもうやめよう。
人に良いよって言ってもらえないと自信を持てないのをやめよう。
自分の人生なんだから、自分がやりたいと思ったことに挑戦していい。
誰かに認めて褒めてもらうだけが、わたしの価値じゃない。
これまでのわたしだったら思いつかない、考えも至らないような前向きな言葉が、心の底から湧き出てきた。自分でもびっくりした!
(ぜんぶ泣きながら話して)コーチに聞いてもらい、セッションを終えた。
すごくすっきりした気分で、改めてコーチングを受けてよかった!と実感。
そして、コーチングスクールへの入会に踏み出せず迷っていたけれど、セッションを終えた時点で、もう次に自分がどう行動すればいいか答えが出ていた。
考えが変わったら、行動も変わった。
つづく!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?