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「まじめだね!」は誉め言葉か。

こんにちは。うらうらです。みなさん調子はいかがでしょうか(^^)

今回は「まじめ」という言葉について考察したいと思います!

みなさんは「あなた真面目だね~」と誰かに言われたことがありますか??その時にどのような気持ちになりますか??

私は自分でいうのもなんですが、真面目な部類に値する人間だと思っています。そのため結構「真面目だねー」と言われるのですが、正直反応に困ります(+o+)

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少なくとも私は「真面目だね」と言われることが好きではないので、人に「真面目だね」とは言わないようにしています('ω')

しかし、「まじめ」という言葉自体に何一つ悪い意味はなく、むしろ基本的にはいい意味だとは思います。普通に考えれば「まじめだね」は誉め言葉の一つになりえると考えられます。

ところが、「まじめ」という言葉になぜか私は「容量が悪いこと」というイメージを覚えてしまうのです。

ややこしいなあお前wwwと思った読者のみなさん(・_・;)単純に「真面目な奴」と聞くとどのような人を思い浮かべますか??

多分このような人だと思います。

・テスト100%の講義を最前列で聞く人

・アンケートの自由記述欄もしっかり書く人

・NHKの受信料をちゃんと払う人

一応あくまでも具体例です。世間一般目線ではこんな感じではないかの一例です。そんなんじゃない!と思う人も上記にような人をあなたは「真面目な人」と表現をするのではないでしょうか。

世間一般が意味する「真面目な人」とは巷が「こんなことまでやらなくていいのに」と思っていることを実行する人を指しているのではないかと思うのです。

本当に真面目に何事もことをこなす人にとって、改めて真面目だねと言われるのはお節介極まりないことだとは言えないだろうか。

好きでやってるんだから、お前はいちいち評価するなと。。。

たぶん、私であればこのように直感で思ってしまうと感じます。

じゃあ、私は「真面目な行動」を否定しているのかというと決してそういうわけではありません!

世の中には真面目にとり組まないといけないことでありふれています。しかし、私の意識の中で「真面目にとり組む」というものは存在せず、「やらないといけないと感じている」ので一生懸命取り組んでいるだけなんですよね。

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講義を最前列で聞いている人にとっては、「それが彼らにとってやらなければならない」と感じているからであって、真面目にやっているという意識はないのではないかと思います。その他、その講義が面白い、GPAがかかっているなどでしょうか。

少なくとも他人から「真面目だね」という名の「容量悪いことをするな」と言われる筋合いはないかと思います。

段々と「まじめ」という言葉に対する軋轢が数々出てきてしまいましたが、皆さんはどう思われたでしょうか、、、、

(あくまでも個人の意見なので、真面目と言われてすなおに嬉しいと思う人もたくさんいると思います。私も素直に喜べばいいのですが、やはり真面目という言葉があまりにひっかかったので考察してしまいました。)

根本にはあまり人っていうのは超努力して時間を掛けましたっていうところを見せたくないものなのでしょうか。確かに、効率よく仕上げたものに価値を感じたり、最年少で何かを成し遂げたことに価値を覚えやすい。

しかし、ものごとを成し遂げるためには基本王道はないので、真面目に何かを練習する取り掛かる期間が一定以上必要となる。

自分のやりたいことを目の前に真面目にとり組むというものは至極当たり前のことなので、それを下手に他人が評価したり口出しするのはやめて、その人の価値観に共感したり、その人のようなひたむきな姿を見習う方がよほど大人ではないか。

以上です。

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