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自己紹介 その1

皆さん、はじめまして。
Rhymoe(ライモー)という英語教育プログラムを考案・開発した
石川良美 と申します。

私は長年のアメリカでの子育てや音楽経験、
幼稚園教師、日本語教師、ダンスインストラクターなどの経験があり、
それらを通じて、英語、音楽、動きの奥深い関係に気づきました。

そしてその気づきを英語教育に活かそうと、
Rhymoe(ライモー)を開発し、現在に至っています。

少し長くなりますが、私の自己紹介をさせてください。

英語との出会い

英語は小さいときから好きで、小学校3年生からLL教室という英語教室に通っていました。
小学校5年生に初めて英語教室主催のスピーチコンテストに出て以来スピーチが好きになり、高校生まで英語スピーチ大会にたびたび出場していました。
両親の理解もあり、中学生からはマンツーマンの英語レッスンに通わせてもらったりと、恵まれた英語教育を受けていたと思います。

音楽との出会い

私は小学4年生よりトランペットを演奏し、
小学校では金管バンド、中学校・高校では吹奏楽部でトランペットを吹いていました。

大学に行ってもトランペットを吹きたいと思い、
自分の学びたい教育学と、オーケストラの両方が有名な大学ということで、京都大学を目指し、一浪の末入学しました。
その後の4年間は、正直なところ、
オーケストラの活動の方が真剣だったかも、しれません。
結婚した相手は、同じオーケストラのトランペットの先輩というのもあり、
10歳くらいからずっと、音楽は身近なものとして存在しています。

1回目の海外赴任

卒業後、一般企業でシステムエンジニアとして働いたあと、結婚。
そして出産することになり、会社をいったん辞めました。
子育てしながらアルバイトで少しずつ働き出し、2人目を妊娠したころ、
夫が思いがけなく、アメリカへの海外赴任をすることになりました。

そこで私は生後6か月の息子と2歳の女の子を連れて、
2001年4月にアメリカ赴任についていったのです。
アメリカ赴任は6年間続き、
その間に幼少期の子ども達の子育てをアメリカで経験するとともに、
日本語補習校(海外に住む日本の子ども達が、日本語による勉強をするために週末に通う学校)の幼稚部の先生を3年担当させていただきました。
子ども達をシュタイナー幼稚園やモンテッソーリ幼稚園に通わせて、アメリカの幼児教育の現場も垣間見ました。
そして子ども達が小学校1年生と3年生になったとき、日本に戻りました。

2005年 プリンストン日本語補習校で幼稚部の先生をしていた頃

帰国、そして体調の変化

2007年に日本に戻って3人目を出産。
3人目が1歳になったころに派遣社員としてフルタイムの仕事を始めました。
家の近くにある外資系の企業でシステムエンジニアとして働き、3人の子育てと両立させていたのです。
年齢が40歳に近づいていた頃で、1日中すわり仕事をしていたのと代謝が落ちてきたのとが重なり、どんどん身体がむくみ、体重が増えていきました。
疲れも抜けにくくなり、40歳の誕生日を1週間後に控えた日、とうとう私は数日布団から起き上がれなくなってしまいました。

このままではいけないと、鍼に通ったり断食したりといろいろなことを試しましたが、疲れやむくみは一向に取れず、悶々としていました。
その半年後、再度夫のアメリカ赴任が決まったのです。

2度目の海外赴任、Zumbaとの出会い

私は仕事をやめ、引っ越しの準備に追われました。
2012年の夏、何とか3人の子ども達を連れてアメリカ・インディアナ州に上陸。
その時、私は考えていました。「体重を減らしたいなら、やっぱり運動かなにかしないと」と。
その時にZumbaというダンスフィットネスがあるというのを見つけたのです。
一度体験してみよう、と近くのスタジオに体験に行きました。

私はもともとダンスには強いコンプレックスがありました。
父に「お前の盆踊りはロボットのようだ」と言われてから、人前で踊るのが嫌いでした。
でもZumbaは、周りに知っている人がいないから踊れなくても気にならなかったし、踊れなくても、楽しかったのです!

もっと楽しく、踊れるようになりたいと、いろんなインストラクターを見つけては、踊りに行きました。
そして見つけたお気に入りのインストラクターが、Shoという人でした。
彼女はかつてNBA(アメリカのプロバスケットボールチーム)インディアナ・ペイサーズのチアリーディングチームに所属し、最終年はリーダーとして活躍していました。
彼女のダンスはシンプルで踊りやすいのに、とても楽しく、美しい。
すっかりはまりました。

そして1年間夢中で踊っていたら、知らない間に1年で5キロも体重が減っていたのです。
ますますZumbaに夢中になって、Zumbaに通い、2年で10キロ体重を落とすことに成功しました。

帰国、Zumbaインストラクターに

そしてインディアナに住んでから2年後の2014年夏、日本に帰国することになりました。
Shoに帰国を伝えると、彼女はなんとこう言ってくれたのです。
「ヨシ、あなた日本に帰ったら、Zumbaのインストラクターになってみない?あなたなら、きっといいインストラクターになれると思う。私もサポートしてあげるから、やってみたら」

私は日本に帰ってもZumbaを続けたいと思っていましたが、彼女みたいなインストラクターを見つけることは難しいだろうと思っていました。
そこにこんなうれしいことを言ってもらえたことで、私はすっかりその気になってしまったのです。

2014年8月に日本に帰国、その翌月に早速Zumbaのインストラクタートレーニング(B1)を受講しました。そして2015年1月から、自分でスタジオを借りてZumbaを教え始めました。

日本の英語教材に感じた「違和感」

半年ほどたったころ、あるダンススタジオのオーナーから、「子どもに英語でダンスを教えてほしい」という依頼を受けました。
私は二つ返事で引き受けました。
そしてせっかくならばただ英語でダンスを教えるだけではなくて、英語も学べるクラスにしたらいいのではと思いました。
そこでレッスンで使えそうな教材を探そうと、日本で作られた英語教材でAmazonでのレビュー評価がよいものを取り寄せたのです。

そして、その教材の中に入っていたHoKey Pokey(ホーキーポーキー)という身体を動かして遊ぶ歌(日本でいう「あたま、かた、ひざポン」みたいなもの)を聞いた時、なんともいえない違和感を覚えたのです。

「あれ、なんだろう……この音楽を聴いても楽しく感じない。身体を動かしたい、と思えない……」

そしてこう思ったのです。
「私がこれを聞いて楽しいと感じられないのなら、私はこれを使って教えられない!」
「なんでこんな風に感じるんだ???」

そこから私は、
音楽のリズムに関する本、言葉のリズムに関する本、ダンスのリズムに関する本、ありとあらゆる本を読み漁りました。

ここからすべてが始まったのです。 (続く)






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