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家族の彼方  8

この数ヶ月、いろいろあった。正月時点では俺も求職活動はほとほと疲れて、唯一来てくれと話をしてきた銀座のタクシー会社に入る事をほぼ決めていた。コロナの後のインバウンド復活を狙って人員拡大を目論むタクシー業界は出だし3ヶ月の給与補償を目玉に年収800万も夢じゃないと喧伝していたし、銀座エリアの高級な客層をゴルフなどに連れて行くハイヤードライバーなら自分の英語力が活かせると思ったのだが実際入ってみると、まずは流しで道を覚えないといけない、ということで二種免許をとった後3月は路上に出て、手を挙げるお客を三週間程乗せて走った。しかし誇大広告で800万稼ぐ為には銀座狙いで深夜みっちり走らないといけない事がわかってきたし、その為に要求される車両操作技量はサンデードライバーの自分には高すぎるものだった。同時にある会社からのアプローチが有って慣れ知った購買調達職に戻れる見込みが立った。青山3丁目の狭い道でクラウンのお尻を擦った後、内定が出た4月頭、タクシー会社に辞表出した。そして今の秋田の会社に入ったのが4/11だ。
初めの一週間が過ぎた土曜日に会社のある横手市から実家の秋田市までたまった洗濯物を持って一泊した。正月帰った時には今に置いたベッドと食卓を往復するだけだった母も、この時はベッドが別室に片付けられており、明らかな回復が見られた。食事の支度は出来ないものの、食卓に並んだ皿は綺麗に平らげる食欲はあった。しかし会話においては気になる事が多かった。まず名詞類が発語出来ない。図鑑を見てピアノを指差してこれは何かと聞くと迷うふうなくバスと答えた。野菜類などは興味がある分野からか、キュウリ、かぼちゃなどと答えられるが、それ以外、たとえば地球の絵を指されてボールなどと言う。
夕飯にカレーを③弟が作り皆で食べた後、何を食べたかと聞いたら〇〇(何と言ったか忘れたが何かカタカナ三文字くらいの事を言った)。カレー、と言い直させようとしてもまた〇〇、と言う。また言い直させようとすると、あれ、わたし〇〇て言ってないか?と言う。聞いていること、言いたいこと、さらに言っている事が回路混線している様に思われた。
 また、車の中でドアを開ける時のハンドルとロックボタンが理解できてなく、父を苛立たせるところを目にした。トイレ流すボタンは言われて理解したらしいが、我々が無意識にこなしている細かい選択、操作ができていない。正月来た時に渡した脳トレ本も今の母さんには難しい様だった。
翌日秋田駅迄父に送ってもらった先で③弟と珈琲店に寄った。秋田には珍しく小洒落た店内は金物屋の廃店を改造したものと言う。こう言う流行にいささか詳しい③弟に、今回④弟と話したかと聞かた。④弟問題は出来れば避けたいが到底避けられない家族の中の大問題。週末帰省の去り際、おもむろに彼を今日ここに誘ったのも、それをどうするかと言う算段したかったからに他ならぬが、ただ長兄としての明確な解を懐に抱えていたとはとても言い難いし、事実④弟との対話を避けて終わろうとしているこの週末帰省ではあった。二週間ほど前だったか、母さんがぼろぼろ泣き始め④弟の行く末を嘆息し始めた、そう言う報告は③弟から受け取っていた。

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