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パクチー+1、ナス+2、トマトが+5。

嫌いな食べ物がある人をうらやましく思う。

さも弱点かのように他人が食べられないものの話をすると、自分は反射的に点数をつけ始める。
パクチーや香の物のようなクセのある食べ物は+1、ナスやキノコ、ピーマンやゴーヤなど直感的に苦手を理解しやすい食べ物は+2、トマトや牛乳といったどちらかといえば好感度の高い食べ物は+5……といった具合に。
「甘いもの無理なんです」が出てくると+10。砂糖ボーナスは大きい。

自分の名誉のためにいうが、ここで計測するのは「感性で嫌っているパターン」に限る。
アレルギーで食べられないのは当たり前だし、そこまで性格は腐っていない。

なぜ他人の嫌いを点数化しているのか。
かくいう自分が基本的になんでも食べれてしまうからだ。

多少の誇張はあるのだが、幼少期は主に「美徳」を食べていた。
好き嫌いをしないことこそが当時の正義で、ゆえに食卓に出てきた食品はすべて平らげていたのだ。
ただこうして大人になってみると、好き嫌いをする人間のなんと多いことか。
時代が変わったのもあるのだろうが、堂々誇示するその人の「嫌い」がいやに輝いてみえる。
芸達者な人が放つ「トマト食えない」の意外性は強烈だ。

自分にその凹凸はない。
ひねり出しそうとしてやっとミョウガが出てくる。
弱い。ミョウガは弱すぎる。「そうだね」としか言われない。そもそも出てくる機会がない。誰も味をイメージできない。

ですので、嫌いなものがある人はそれをもっと誇ってください。
自我を貫いた証ですので。
でないと、これを書いている+1の人間がどんどんみすぼらしくなっていきます。

今週の質問:「皆さんが人生で最も全快放した時を教えてください!!」

嘘をついて泣くことはできますが、泣いているときに嘘をつくのは難しいですよね。
この「全快放」が飛んできたときは「周りを振り回している瞬間」をイメージするのですが、ここに「最も」と付けば「めちゃくちゃに泣いている瞬間」になります。

号泣というトークテーマでも生きていると何枚も手札に揃ってきてしまうのが人生の嫌なところですが、一番気持ちいい涙の話をします。

映画を観たときの話です。
前提として自分は映画であまり泣かない方で、感動しても「うるっとくる」程度です。
そんな自分を泣かせたのが『嫌われ松子の一生』でした。

まず言いますが、観ていて気分のいい映画ではありません。
劇中で語られるのは主人公・松子の転落人生とその末路です。
泥沼を這って進み、芽生えた希望はすぐに摘まれる。その連続です。
象徴的なのは「人生が終わったと思いました」という台詞が何度も出てくること。
終わったと思っても人生は終わってくれないらしいです。

だからこそ、希望を見出して生きようとする松子がたくましく映るんです。
幸せを諦める必要はない、と体現しているようで。
サブスクで観て油断していたのもあると思いますが、嗚咽するタイプの泣き方をしていました。

自分には世の中を穿った目で見るくせがあるのですが、観ている最中と直後はそれが全部外れていました。
全部の枷が外れた感覚が、いまも身体の中央に残っているように思います。

以上、映画界隈の回し者からの宣伝でした!
『嫌われ松子の一生』と監督が同じ『告白』もオススメです!

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